鎌倉手帳(寺社散策)

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辻の薬師堂
=薬師如来と十二神将=

編集:yoritomo-japan.com







辻の薬師堂


 辻の薬師堂は、小町大路本興寺門前にある小さなお堂。

 廃寺となった真言宗医王山長善寺の薬師堂だった。

 長善寺は、奈良時代の神亀年間、染屋時忠が「鷲にさらわれた娘の遺品」が見つかった名越に建立した寺院で、のちに現在の地に移された。

 江戸時代には徳川光圀も訪れたのだという。

 堂内にあった「木造薬師三尊及十二神将立像」は鎌倉国宝館に寄託され、現在置かれている薬師三尊及び十二神将立像2躯はそのレプリカ。


〜染谷時忠〜

 染屋時忠は、藤原鎌足の四代目の子孫で、関東諸国の総司令官。

 鎌倉最古の甘縄神明神社を建立したされ、東大寺石山寺大山寺を開いた良弁の父ともいわれる。


〜染屋時忠の娘に関する伝説〜

 染屋時忠の娘に関する伝説は、来迎寺(如意輪観音)・魔の淵のお地蔵さま妙法寺(鷲の宮)・六国見山(稚児墓)・多聞院(岡野観音)・塔ノ辻にも残されている。







辻の薬師堂


 辻の薬師堂に伝わる薬師如来立像(県重文)は平安時代のもの。

 行基作とも伝えられ、廃寺となった東光寺(現鎌倉宮)の本尊だったとされている(脇侍像は江戸時代のもの)。

 『吾妻鏡』によると、東光寺は1209年(承元3年)10月10日に二階堂行光が永福寺の近くに建てた寺で、園城寺の公胤が導師を勤め、供養には北条政子北条義時大江広元三善康信らが出席したのだという。

 1334年(建武元年)11月15日、東光寺には足利尊氏と対立した護良親王が幽閉され、翌年7月23日に護良親王が暗殺されたことで東光寺は廃寺となった(参考:護良親王の墓)。

 その後、薬師如来は長善寺に移されたのだという。

 十二神将立像(県重文)は覚園寺像の原型と考えられ、鎌倉の十二神将では最も古い(8躯が鎌倉時代のもので、4躯が江戸時代のもの)。

 鎌倉国宝館で修復された「薬師三尊及十二神将立像」を拝観することができる。



辻薬師堂戌神将
戌神将
(鎌倉時代)

 かつて、大倉薬師堂(現在の覚園寺)にあった戌神像は、北条義時の危機を救ったのだと伝えられ、その霊験にあやかろうと多くの像が造られたのだといわれている。

 辻の薬師堂の戌神像は、大倉薬師堂の戌神像(運慶作)の模刻と考えられている。


源実朝の暗殺

北条義時と戌神将の伝説



京都文化博物館特別展
よみがえる承久の乱
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−後鳥羽上皇VS鎌倉北条氏−


2021/4/6(火)〜5/23(日)

 2020年に発見された「承久記絵巻」の特別展。

 辻の薬師堂の戌神将も展示される予定。







辻の薬師堂
辻の薬師堂

鎌倉市大町2丁目
本興寺の前)

鎌倉駅東口から徒歩15分



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