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岩殿寺は(がんでんじ)は、721年(養老5年)の創建と伝えられる曹洞宗の寺院。 行基が開創し、聖武天皇の勅願により徳道が開山したのだという。 本尊は、行基の十一面観音。 正式名称は海雲山護國院岩殿寺。 990年(正暦元年)には、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が来山。 1174年(承安4年)には後白河法皇も来山しているのだという。 源頼朝は伊豆国の蛭ヶ小島の流人だった頃から信仰し、寺領を寄進。 北条政子や源実朝も度々訪れた寺といわれている。 明治時代には、作家泉鏡花が足を運んだ寺でもある。 |
岩殿寺は坂東三十三所第二番。 かつて、巡礼者は、第一番の鎌倉の杉本寺から報国寺のある宅間ヶ谷を通って、岩殿寺へと向かった。 今でも巡礼古道が一部残されている。 |
岩殿寺の開山となった徳道は、東大寺開山の良弁の弟子といわれ、奈良の長谷寺や鎌倉の長谷寺を開いた僧。 西国観音霊場三十三所を定めたのは徳道。 花山法皇は西国三十三所を巡礼。 そのため、西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれている。 西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。 |
観音堂は、1728年(享保13年)の建立で市の重要文化財に指定されている。 観音堂裏の岩窟には石の観音像が祀られ、岩殿寺の寺名の由来となった。 観音堂前の池は泉鏡花の寄進。 |
坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期の開設につながったのだといわれている。 |
観音信者だった源頼朝〜守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像〜 観音浄土へ船出した下河辺行秀〜補陀洛渡海〜 坂東三十三観音〜神奈川県の札所〜 鎌倉観音巡礼 |
四万六千日(8月10日)は、観音菩薩の縁日。 朝早くから参詣することから、「朝詣り」ともいわれてきた。 かつて、三浦半島の人たちは、 杉本観音(杉本寺)、 長谷観音(長谷寺)、 田代観音(安養院)を巡った後、岩殿観音を巡って帰っていたのだとか。 |
『吾妻鏡』によれば、1192年(建久3年)5月8日、源頼朝が後白河法皇の四十九日法要を勝長寿院で行った際には、岩殿寺の僧も2名参列している。 他は、鶴岡八幡宮20人、勝長寿院13人、伊豆山権現18人、箱根権現18人、大山寺3人、金目観音3人、高麗寺3人、六所神社3人、杉本寺1人、窟不動1人、慈光寺10人、浅草寺3人、真慈悲寺3人、飯泉観音2人、国分寺3人。 |
逗子市久木5−7−11 0468(71)2268 逗子駅から徒歩15分 |
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