鎌倉手帳(寺社散策)

源平合戦
一ノ谷・屋島・壇ノ浦

岡戸事務所
編集:岡戸秀仁







 1180年(治承4年)、後白河法皇の第三皇子・以仁王の平家打倒の令旨を契機に始まった治承・寿永の乱。

 以仁王は自ら源頼政とともに挙兵するが、源頼政は平等院の戦いで討死、以仁王は南山城の加幡河原で討たれた(5月・参考:源頼政の墓)。

 8月、伊豆の源頼朝が挙兵。

 10月には鎌倉に入って本拠とし、富士川の戦いで平家軍を敗走させた。

 1181年(治承5年)閏2月、平清盛が死去。

 1183年(寿永2年)5月、木曽義仲が倶利伽羅峠で平家軍を破り、7月には平家一門を都落ちさせて入京したが、後白河法皇と対立し、1184年(寿永3年)1月、源頼朝が派遣した源範頼源義経によって滅ぼされた。

 2月、勢力を挽回しつつあった平家軍を源範頼源義経一ノ谷の戦いで撃破。

 屋島に逃れた平家軍だったが、1185年(元暦2年)2月、源義経の奇襲攻撃を受け敗走。

 3月、平家軍は壇ノ浦の戦いにも敗れて滅亡した。 


一ノ谷古戦場
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