鎌倉手帳(寺社散策)

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覚園寺の薬師堂

編集:yoritomo-japan.com








覚園寺薬師如来
薬師如来坐像


 覚園寺の薬師堂(仏殿)は、「薬師三尊」(「木造薬師如来及日光・月光菩薩坐像」(国重文))、「木造十二神将立像」(国重文)が安置されている堂。

 廃寺となった理智光寺の本尊「木造阿弥陀如来坐像」(県重文:鞘阿弥陀)や、「木造伽藍神倚像」、「木造賓頭盧尊者像」なども安置されている。

 薬師堂は元禄年間に建て直されたが、材料は従来のものを使用しているため、古くからの面影をよく残している。

 天井の梁には、1345年(文和3年)に薬師堂を修理した際に足利尊氏が書いたという文字が残され、その内容は、「天皇陛下のもとで世の中は治まり、元の軍の降伏を祈ったおりには寺が栄えた。仏法はますますきわまりなく、人々は仏と法と僧の三宝を敬い、国内は平和で日々を楽しむことを願う」というもの。

 天井画は狩野典信(みちのぶ)が描いたものといわれている。









木造薬師如来及日光・月光菩薩坐像

 像高:薬師如来181.3p 日光菩薩149.4p 月光菩薩150.0p。

 中尊の薬師如来像は鎌倉期の作。両脇侍は室町期の作。

 日光菩薩像は、頭部内の銘により、仏師法橋朝祐が応永29年3月21日(1422年)に造立したことが判明している。





木造十二神将立像

 室町時代。

 十二躯のうち六躯に朝祐の墨書銘があり、作風は辻の薬師堂の「十二神将立像」(鎌倉国宝館に寄託)に似ていることから、これを手本としたものと考えられている(下の写真は「戌神将像」)。 


覚園寺戌神将





木造阿弥陀如来坐像

 室町時代、廃寺となった理智光寺の本尊。

 胎内にも仏像を納めていたことから「鞘阿弥陀」の名がある。

 鎌倉独特の土紋装飾が施され、鎌倉六阿弥陀の一つに数えられていた。





 薬師如来は「生きている者を救う」仏で、脇侍の日光・月光菩薩は「薬師如来の弟子」。

 日光菩薩は昼、月光菩薩は夜を担当し、24時間体制で信じる者を救うといわれ、十二神将は、薬師如来を守る役目を果たしているという。









覚園寺
リンクボタン覚園寺

 覚園寺は、北条義時戌神将伝説で知られている真言宗の寺。
 本尊薬師如来像、日光・月光菩薩像、十二神将像など貴重な仏像が残されている。
 「黒地蔵縁日」は鎌倉の夏の風物詩。


鎌倉市二階堂421
0467(22)1195

鎌倉駅から「大塔宮」行バス終点下車
徒歩10分



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