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用堂尼の墓
〜鎌倉:東慶寺〜

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用堂尼の墓


 東慶寺の五世用堂尼は後醍醐天皇の皇女。

 用堂尼の入山後、東慶寺は「松岡御所」と称され、寺格の高い寺として知られるようになった。

 用堂尼は、鎌倉に幽閉され、悲運の最期を遂げた後醍醐天皇の皇子護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれている。



用堂尼の墓


用堂尼の墓









用堂尼
用堂尼像
仏殿安置)

 江戸時代には、護良親王土牢理智光寺東慶寺に管理されていた。

 東慶寺には、護良親王の幼名「尊雲法親王」と書かれた位牌が祀られている。

 1396年(応永3年)8月8日巳刻、用堂尼入寂。





後醍醐天皇陵
リンクボタン後醍醐天皇陵

 足利尊氏と対立して、吉野に南朝を興した後醍醐天皇だったが、1339年(延元4年 / 暦応2年)8月16日、還御することなく崩御(宝算52)。

 陵墓は、如意輪寺の塔尾陵。









東慶寺
リンクボタン東慶寺


 東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。
 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。

鎌倉市山ノ内1367





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