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韮山反射炉は、徳川幕府の代官江川英龍の建言によって造られた大砲鋳造のための施設。 1853年(嘉永6年)にペリーが来航すると、幕府は海防の必要性をせまられ、江川英龍を責任者として、大砲鋳造の施設を造ることを決めた。 当初は、下田港に近い本郷村に造る予定であったが、1854年(安政元年)3月、工事中の反射炉敷地内にペリー艦隊の水兵が侵入する事件が発生したため、韮山に建設地を移した。 幕府に建言した英龍は、1855年(安政2年)に反射炉の完成を見ずこの世を去ったが、跡を継いだ子の英敏が1857年(安政4年)に完成させている。 |
韮山反射炉は世界文化遺産 (明治日本の産業革命遺産) |
世界遺産登録:韮山反射炉(明治日本の産業革命遺産) |
反射炉は、金属を溶かすための溶解炉。 使用されている煉瓦は、賀茂郡梨本村(現河津町)の登り窯で生産され、1700度の高温に耐えることのできるもので、後世の専門家からも高い評価を得ている。 幕末に江戸湾の品川沖に置かれた台場の大砲は、この反射炉で鋳造された。 「鋳鉄製24ポンドカノン砲」は、韮山反射炉で最も多く鋳造された大砲(写真は復元されたもの)。 |
江川英龍(坦庵)は、韮山で地位を固めた江川氏の三十六代目。 国防の必要性を幕府に訴え、江戸湾防備のために品川沖に台場を設置し、そこに備える大砲を鋳造するための反射炉を造り始めた。 残念ながら、その完成を見ずに亡くなるが、それを引き継いだ子英敏が1857年(安政4年)に反射炉を完成させた。 江川氏は、源満仲の二男宇野頼親を祖とする清和源氏。 1180年(治承4年)、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵するとそれに参じたという。 |
静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268 伊豆箱根鉄道「伊豆長岡駅」から徒歩15分程度 (無料シャトルバスが運行されています。運行日、運行時間はご確認下さい。)) |
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