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守山八幡宮は、北条氏ゆかりの願成就院の後方、北条の里の中心にある守山の中腹に鎮座。 647年(大化3年)、大山祗神を祭神として創建され、907年(延喜7年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請されて合祀された。 1180年(治承4年)には、源頼朝が源氏再興を祈願して挙兵している。 現在の本殿は、1632年(寛永9年)に久能城主榊原照久によって造営された建物。 |
古代、守山八幡宮の建つ北条郷と狩野川の反対側の江間郷は一つの郷で、狩野川を越えた大男山(雄徳山)
山頂に総鎮守があった。 しかし、狩野川の流れが変わり、両郷を分断してしまったため、北条郷は守山の地に遷座して祀ったのだといわれている。 その後、八幡神が合祀され守山八幡と称されるようになった。 |
江間郷の総鎮守として遷座されたのが豆塚神社。 守山八幡宮と江間郷の豆塚神社は、延喜式神名帳に記載されている石徳高神社とされている。 |
源頼朝治承四年(一一 八〇)八月十五日守山八幡宮に平家追討を祈願して挙兵。 夜陰、源氏重忠の軍兵数十騎、山木判官平兼隆を襲い討つ。 其の間、頼朝遥かに山木館の火煙を望み悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると。 故に記して建碑の所以とする。 |
挙兵した源頼朝は、山木館を攻めて伊豆国目代の山木兼隆(やまきかねたか)を討ち取った。 香山寺には、山木兼隆の五輪塔が建てられている。 |
『吾妻鏡』によると、1180年(治承4年)、以仁王の平家打倒の令旨を受け取った源頼朝は、男山を遥拝してから謹んで開いて見たのだという。 一般的に男山は京都の源氏の氏神石清水八幡宮のこととされているが、守山八幡宮のことだとする説があるのだとか・・・。 |
守山には、北条時政の館跡と考えられている史跡がある。 平治の乱後、蛭ヶ小島に流された源頼朝は、北条時政の娘政子と結婚し、1180年(治承4年)の挙兵当時には北条館にいたものと考えられることから、守山から山木館が燃えるのを見ていたのかもしれない(参考:香山寺 蛭ヶ小島)。 |
静岡県伊豆の国市寺家1204−1 伊豆箱根鉄道駿豆線「伊豆長岡」駅から徒歩16分 |
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