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最明寺は、鎌倉幕府五代執権北条時頼の遺骨を分骨するために建てられた寺。 当初は臨済宗の寺だったが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで焼失した後、1605年(慶長9年)に日遠が再興して日蓮宗に改宗されたのだという。 山号は東光山。 本尊は十界勧請曼荼羅。 『吾妻鏡』によれば、赤痢を患っていた北条時頼は、1256年(康元元年)11月22日、執権職を辞任。 翌日、鎌倉の最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家し、「最明寺入道」と呼ばれるようになる。 それから7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺の北の屋敷で37歳で亡くなった。 『吾妻鏡』には、 坐禅をくみながら臨終をむかえたことが記されている。 |
北条氏にゆかりの深いこの地の人々が、名執権として誉れ高い時頼の徳を慕い、その分骨を幕府に願い出てこの地に墓を建てたのだという。 墓の下には、伊豆長岡の俳人萩原麦草の「最明寺 時頼よりの 時雨ふる」と刻まれた句碑が建てられている。 |
北条時頼は兜の八幡座(兜の鉢の頂上)に若宮八幡大菩薩を奉安していたという。 |
鎌倉の山ノ内にあった最明寺は、北条時頼が出家の準備のために建てた寺ともいわれている。 最明寺は時頼の死後廃絶するが、時頼の子北条時宗が蘭渓道隆を開山として最明寺を前身とする禅興寺を創建。 現在はその支院である明月院が残されている。 |
静岡県伊豆の国市長岡1150 伊豆箱根鉄道「伊豆長岡」駅から徒歩20分 「伊豆長岡駅』から伊豆箱根バスで「順天堂病院前」下車すぐ |
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