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戦国大名:北条早雲

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北条早雲
絹本淡彩北条早雲像
(早雲寺蔵:国重文)


 北条早雲(伊勢盛時)は後北条氏の祖。

 父は伊勢盛定、母は室町幕府政所執事・伊勢貞国の娘とする説が有力。

 1487年(長享元年)、今川家の相続争いをまとめた早雲は、駿河国の興国寺城を与えられた。

 1493年(明応2年)には堀越公方足利政知の子茶々丸を攻撃し、伊豆国を奪い取った(伊豆討入り)。

 伊豆国の韮山城を居城とした早雲は、1495年(明応4年)には小田原城を奪い、相模国に進出。

 1510年(永正7年)に住吉城を築くが三浦道寸(義同)によって落されてしまう。

 体勢を立て直した早雲は、1512年(永正9年)、道寸の岡崎城を攻め、さらに住吉城を攻めて道寸を三浦の新井城に敗走させた。

 同年、新井城の三浦道寸攻略のため玉縄城が築かれ、1516年(永正13年)には新井城を落とし、相模国全域を平定。

 その後、早雲は房総半島に渡り1517年(永正14年)まで転戦。

 1518年(永正15年)に家督を氏綱に譲り、翌1519年(永正16年)8月15日、韮山城で死去。



伊豆討入りは、1491年(延徳3年)とする説もある。

早雲の時代の名字は伊勢。
北条を名乗ったのは二代氏綱からで、早雲が北条を名乗ったことはない。









興国寺城址
リンクボタン興国寺城址
(沼津市)

 早雲が最初に手に入れた城。



韮山城址
リンクボタン韮山城址
(伊豆の国市)

 早雲は、小田原城奪取後もそちらへ移ることなく、1519年(永正16年)に没するまで韮山城を居城としていた。



堀越御所跡
リンクボタン堀越公方の御所跡
(伊豆の国市)

 室町時代の伊豆には、堀越公方が置かれていた。
 早雲に攻められた足利茶々丸は、願成就院で自害したのだという。



小田原城
リンクボタン小田原城
(小田原市)

 早雲の子氏綱以下の北条氏の居城。





住吉城址
リンクボタン住吉神社址
(逗子市)
玉縄城址
リンクボタン玉縄城址
(鎌倉市)


新井城址
リンクボタン新井城址
(三浦市)


リンクボタン武家の都鎌倉の再興を誓った北条早雲










建仁寺
リンクボタン建仁寺
(京都)
大徳寺
リンクボタン大徳寺
(京都)

 京で幕府に出仕している間、早雲は建仁寺大徳寺で禅を学んでいる。

 菩提寺の早雲寺の開山は大徳寺八十三世の以天宗清。


真如堂
リンクボタン真如堂
(京都)
お十夜
リンクボタンお十夜
(鎌倉)

 早雲の母方の祖父伊勢貞国が、真如堂に参籠したことが「お十夜」の始まりだという。



お十夜の始まり





早雲寺
リンクボタン早雲寺
北条五代の墓
リンクボタン北条五代の墓

 早雲寺は、北条早雲の死後、子の氏綱が創建した北条氏の菩提寺。

 墓所には早雲氏綱氏康氏政氏直の墓がある。

 1590年(天正18年)の小田原落城後、北条氏を継承した狭山藩北条家五代当主の氏治が1672年(寛文12年)に早雲の命日に際して建てたもの。



小田原征伐


北條五代祭り


リンクボタン黒田官兵衛が譲り受けた『吾妻鏡』北条本〜小田原征伐〜




北条早雲像
リンクボタン北条早雲像
(小田原駅前)

 5月3日の北條五代祭りが近づくと、北条早雲像は兜・陣羽織の姿になる。









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