鎌倉手帳(寺社散策)

紅葉鎌倉は紅葉・黄葉シーズン!  紅葉長谷寺ライトアップ開催中!  紅葉明月院本堂後庭園公開中!  紅葉長壽寺の秋の特別拝観  渋沢栄一2021年の大河ドラマは「青天を衝け」

戦国大名:北条氏政
〜後北条氏第四代当主〜


編集:yoritomo-japan.com







北条氏政
北條氏政像
(早雲寺蔵)


 北条氏政は、1538年(天文7年)、北条氏康の次男として誕生。

 1554年(天文10年)、父氏康が甲斐の武田信玄、駿河の今川義元と甲相駿三国同盟を結んだことにより、信玄の娘黄梅院を正室に迎えた。

 1559年(永禄2年)、父氏康の隠居に伴い家督を継ぐが、氏康存命中は両頭体制が続けられた。

 1568年(永禄11年)、信玄が駿河に侵攻したことにより三国同盟は破綻、信玄に対抗するため上杉謙信と同盟を結んだ。

 これにより仲むつまじかったという黄梅院とも離縁している。

 1571年(元亀2年)、父氏康が亡くなると上杉との同盟を破棄し、武田と再び同盟を結び、1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いでは武田に援軍を出して織田・徳川連合軍を破っている。

 1580年(天正8年)には織田信長に臣従。この年、家督を子氏直に譲るが、その実権はなおも氏政が握っていた。

 1582年(天正12年)、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、領国を拡大し、その規模は相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野と常陸・下野・駿河の一部に及ぶ240万石に達し、後北条氏の最大版図を築き上げた。

 しかし、信長の跡を継いだ豊臣秀吉と対立し、1590年(天正18年)、小田原城を包囲され降伏。

 氏政は7月11日に切腹した。






石垣山城址
リンクボタン石垣山城

(秀吉の一夜城)
北条政・氏照の墓
リンクボタン氏政・氏照の墓
(小田原市)

 豊臣秀吉が築いた石垣山城の出現によって小田原城の将兵は戦意を喪失したという。







小田原城天守閣
リンクボタン小田原城
八幡山古郭
リンクボタン八幡山古郭
(小田原城)

 小田原城の氏政・氏直父子に開城の説得をしたのは黒田如水(官兵衛)だった。

 城主氏直は、和議の謝礼として官兵衛に「吾妻鏡」、「日光一文字(太刀)」、「北条白貝(ほら貝)」、「平家琵琶」を贈ったという。


小田原開城で黒田官兵衛に渡った吾妻鏡(okadoのブログ)






早雲寺
リンクボタン早雲寺
北条五代の墓
リンクボタン北条五代の墓

 早雲寺は、北条早雲の死後、子の氏綱が創建した北条氏の菩提寺。

 墓所には早雲氏綱氏康氏政氏直の墓がある。

 1590年(天正18年)の小田原落城後、北条氏を継承した狭山藩北条家五代当主の氏治が1672年(寛文12年)に早雲の命日に際して建てたもの。


北條五代祭り







鎌倉:寺社・史跡巡り


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)


鎌倉ニュース 60年に一度の祭礼
円覚寺洪鐘祭

2022年の大河は北条義時
鎌倉殿の13人〜宿老13人の合議制〜 北条義時