鎌倉手帳(寺社散策)

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八幡山古郭
〜中世小田原城の遺構〜


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八幡山古郭
東曲輪


 八幡山古郭(はちまんやまこかく)は、1495年(明応4年)に北条早雲が大森藤頼を破って小田原城を奪った頃の城の中心地の一つだと考えられている遺構。

 当時の小田原城の主郭があったところと推定されている。

 大森藤頼は駿河大森氏の当主。

 駿河大森氏は室町時代初期には鎌倉公方に仕え、上杉禅秀の乱以後、伊豆・相模に勢力を広げ、氏頼の時代には扇谷上杉家の家臣となり、小田原城を中心に栄えた。

 一方、北条早雲は、1491年(延徳5年)、堀越公方足利茶々丸を滅ぼした韮山城を奪った後、大森藤頼に近づき、油断した藤頼を攻め、小田原城を陥落させたというが不明な点が多いという。



八幡山古郭
東曲輪から見える天守





 1590年(天正18年)7月11日、豊臣秀吉の小田原攻めによって小田原城は開城。

 秀吉の側近黒田如水(官兵衛)の説得により和議が成立し、小田原城主北条氏直は官兵衛に「吾妻鏡」、「日光一文字(太刀)」、「北条白貝(ほら貝)」、「平家琵琶」を贈ったという。

 氏直の父氏政とその弟氏照は切腹。

 氏直は高野山へ登り謹慎した後、翌年には赦免され豊臣の大名となったが、同年11月4日、病死した。



石垣山一夜城
リンクボタン石垣山城
北条政・氏照の墓
リンクボタン氏政・氏照の墓


早雲寺
リンクボタン早雲寺
北条五代の墓
リンクボタン北条五代の墓



小田原征伐


リンクボタン黒田官兵衛が譲り受けた『吾妻鏡』北条本〜小田原征伐〜





〜小田原城の総構〜

 総構(そうがまえ)は、小田原城と城下町を土塁や塀で囲んだ防御施設。

 1590年(天正18年)の豊臣秀吉との合戦に備えて整備された総構は全長約9qにもなるもので、大坂城の総構を凌ぐものだった。

 参考までに、江戸城の総構は約16qだった。 



小峯御鐘ノ台大堀切
リンクボタン小峯御鐘ノ台大堀切総構遺構
(総構遺構)

 総構は、徳川家康にほぼ撤去されてしまったが、小峯御鐘ノ台大堀切は当時の面影を残した遺構。










八幡山古郭 東曲輪
八幡山古郭 東曲輪

小田原市城山3−23

小田原駅北口から徒歩10分



小田原城
リンクボタン小田原城天守閣




小田原城周辺をめぐる
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