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西琳寺は、810年(弘仁元年)に弘法大師が草庵を結んだという地に建てられた寺。 弘法大師が刻んだ弥勒菩薩にちなんで弥勒寺と名付けられ、弥勒菩薩の伝説から山号を西琳山と称した真言宗の寺院だったが、1478年(文明10年)、本願寺八世の蓮如の教化によって浄土真宗に改宗され、西琳山弥勒寺から弥勒山西琳寺と改められた。 |
昔、北条斉寄という人物がいた。 子どもが欲しかった斉寄は弥勒菩薩に祈願。 すると・・・妻が寺の裏山から光る玉が飛んできて口の中に入る夢を見て懐妊。 喜んだ斉寄は、西の山から美しい玉(琳)が飛んできたことから、西琳山という山号を贈ったのだという。 |
本尊の弥勒菩薩は弘法大師が高さ約3メートルの自然石に刻んだもの。 源頼政の側室菖蒲御前の念持仏であったと伝えられる。 |
伊豆国の古奈で生まれたという菖蒲御前。 京都で鳥羽上皇に仕え、院中一の美女だったのだとか。 のちに源頼政の妻となるが・・・ 頼政が以仁王とともに平家打倒の挙兵して平等院で討死にすると、郷里に戻り、弥勒堂の下に草庵を結んで頼政の菩提を弔ったのだという。 |
※ | 菖蒲御前の伝説は各地に残されている。 |
源頼政は、源頼光を祖とする摂津源氏(参考:六孫王神社)。 平清盛に信頼されて、平家政権下で清和源氏としては突出した従三位に叙せられ、源三位(げんざんみ)と呼ばれた。 1180年(治承4年)4月9日、以仁王に全国の源氏に平家打倒の令旨を発出させて自らも挙兵したが、5月26日、南都へ向かう途中の平等院で平家軍との戦いに敗れ自刃した。 |
扇の芝 (京都:平等院) |
源頼政墓 (京都:平等院) |
平等院にある扇の芝は頼政終焉の地。 塔頭の最勝院には頼政の墓が建てられている。 |
以仁王が発出した令旨は、4月27日に伊豆配流の身だった源頼朝のもとに届いている。 北条館で令旨を受け取った頼朝は、石清水八幡宮を遥拝してから謹んで開いたのだと伝えられている。 もしかすると、頼朝や政子と菖蒲御前は何かを語り合っていたのかも。 |
静岡県伊豆の国市古奈38 伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅から 徒歩20分 |
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