鎌倉手帳(寺社散策)

源氏ボタルよりともくん『鎌倉殿の13人』2022年大河ドラマ  戌神将二代執権 北条義時

歴史めぐり源頼朝
〜伊豆国流罪〜







 平治の乱の敗北後、平清盛に捕えられた頼朝は、源氏の正嫡であることから処刑を免れることはできない状況に置かれていました。

 しかし、清盛の継母池禅尼の懇請で命を助けられたと伝えられています。

 助命となった頼朝は1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国流罪となります。

 流されたのは蛭ヶ小島だったと伝えられています。 


蛭ヶ小島
リンクボタン蛭ヶ小島
(静岡県伊豆の国市)


建部大社
リンクボタン建部大社
(滋賀県大津市)

 配流地の伊豆へ赴く頼朝が源氏再興を祈願したという社。


リンクボタン源頼朝の助命嘆願をした池禅尼

リンクボタン源頼朝が流された地は伊東という説







〜比較的自由な暮らしが許されていた頼朝〜

 伊豆に流された頼朝は罪人ですので、その社会的な地位は否定されていました。

 したがって、所領を持つこと、家来を持つこと、伊豆国の外へ出ることなどができなかったようです。

 しかし、様々な援助によって、生活には困らなかったようですし、乗馬や狩猟は自由だったといいます。

  特に乳母の比企尼の物資の援助は、頼朝を助けたと思われますし、尼の娘婿の安達盛長河越重頼、伊東祐清、甥の比企能員なども頼朝の支援者として働いていたものと考えられています。

 また、母由良御前の弟祐範は毎月使者を送り、伯母が頼朝の乳母だったという三善康信は定期的に京都の情報を送り続けていたのだといいます。

 おそらく、母の実家である熱田神宮大宮司の援助も受けていたのでしょう。

  他に、小山政光の妻寒川尼、山内俊通の妻山内尼といった乳母たちも、何らかの形で頼朝を支援していたのではないでしょうか。

 こうした環境の中での生活となった頼朝は、箱根権現走湯権現に帰依し、父義朝や源氏一門の菩提を弔いながら、約20年間を伊豆国で過ごすこととなります。


〜頼朝の乳母〜

リンクボタン比企尼 リンクボタン寒河尼 リンクボタン山内尼


箱根神社
リンクボタン箱根神社
(箱根権現)
伊豆山神社
リンクボタン伊豆山神社
(走湯権現)

 流人の頼朝が崇敬した箱根権現走湯権現は、古代からの霊地。



〜兄弟たちは?〜

 長兄の義平は、捕えられて六条河原で斬首。

 次兄の朝長は、東国へ向かう途中で落人狩りに遭って負傷したため、父義朝に殺してもらったのだといいます。

 同母の弟希義は、土佐国介良荘に流罪。

 常盤御前が産んだ今若(全成)・乙若(義円)は、それぞれ醍醐寺園城寺に入って出家。

 生まれたばかりだった牛若(義経)は、11歳の時に鞍馬寺に預けられました。



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