鎌倉手帳(寺社散策)

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    渋沢栄一「晴天を衝け」  武士「鎌倉殿の13人」



源頼朝の兄弟

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 源義平

 源義朝の長子。

 母は三浦義明の娘とも伝えられるが、橋本の遊女だった可能性が高い。

 長子ではあるが、母の身分が低かったため、嫡男は三男の源頼朝だった。

 1155年(久寿2年)、義朝と対立していた叔父義賢の大蔵館を襲撃し、義賢を討ったことで「悪源太」と呼ばれた。

 1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れた後、捕えられて六条河原で斬首されたと伝えられている。


源義賢の墓
リンクボタン源義賢の墓
(埼玉県嵐山町)
逗子光照寺
光照寺
(逗子市)

 源義賢は源義朝の異母弟で、木曽義仲の父。

 逗子の光照寺は義平の菩提寺。

鎌倉・寿福寺
リンクボタン壽福寺
(鎌倉市)
逗子・法勝寺
リンクボタン法勝寺
(逗子市)

 鎌倉の壽福寺と逗子の法勝寺は、源義朝の館跡。

 義朝が上京中は、義平が館主となっていた。




 源朝長

 源義朝の次男。

 母は波多野義通の妹。

 相模国松田郷で生まれ、寒田神社の東南にあったという松田亭で13年間を過ごしたのだという。

 1159年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた後、父義朝や義平・頼朝らとともに都落ちするが、東国へ向かう途中で落人狩りに遭って負傷したため、父義朝に殺してもらったのだという。


松田城跡
リンクボタン松田城址
(松田町)
寒田神社
桜寒田神社
(松田町)




 源義門

 源義朝の四男。

 母は頼朝と同じ熱田神宮大宮司藤原季範の娘・由良御前といわれ、早世したと伝えられている。




 源希義

 源義朝の五男。

 母は由良御前

 1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝平清盛に敗れると、土佐国介良荘に流された。

 夜須荘の夜須行宗を頼って挙兵を計画したが、平家の討手に討たれた。

 討たれた時期については、頼朝が挙兵した1180年(治承4年)とする説と、1182年(寿永元年)9月25日とする説がある。 


源頼朝の墓
リンクボタン希義公の土と石

 頼朝墓の傍らには、希義墓の土と石が置かれている。




 源範頼

 源義朝の六男。

 母は遠江国池田宿の遊女だったといわれている。

 弟の義経とともに木曽義仲の追討・一ノ谷の戦い壇ノ浦の戦いで活躍したが、1193年(建久4年)に頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に起こった曽我兄弟の仇討ちをきっかけに失脚。

 伊豆修禅寺に幽閉された後、梶原景時に攻められ自刃したと伝わるが、各地に落ち延びたという伝説が残されている。


修禅寺
桜修禅寺
(伊豆市)
源範頼墓(修善寺)
桜源範頼の墓
(伊豆市)

石戸蒲ザクラ
リンクボタン石戸蒲ザクラ
(北本市)
横浜:太寧寺
リンクボタン太寧寺
(横浜市金沢区)

石戸神社
桜石戸神社
(北本市)
高尾阿弥陀堂
桜高尾阿弥陀堂
(北本市)


源範頼の謀反

源範頼が書いた起請文




 阿野全成

 源義朝の七男。

 母は常盤御前

 1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝平清盛に敗れると、出家して醍醐寺に入った。

 1180年(治承4年)、兄頼朝が挙兵すると駆けつけ、以後、頼朝の信任を得て、北条政子の妹・阿波局を妻とした。

 1192年(建久3年)、源実朝が誕生すると乳母夫に就任。

 1203年(建仁3年)6月23日、二代将軍源頼家への謀反を疑われ、誅殺された。 


鷺沼城址(習志野市)
リンクボタン鷺沼城址
(習志野市)
阿野全成・時元の墓
リンクボタン伝阿野全成の墓
(沼津:大泉寺)

 習志野市の鷺沼城址は、頼朝と全成が対面した場所と考えられている。

 沼津市の大泉寺は、全成の屋敷跡に建てられた寺。


阿野全成の誅殺




 源義円

 源義朝の八男。

 母は常盤御前

 1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝平清盛に敗れると、出家して園城寺に入った。

 1181年(治承5年)、叔父源行家の挙兵に参加し、墨俣川の戦いで平重衡に敗れて討死。




 源義経

 源義朝の九男。

 母は常盤御前

 1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝平清盛に敗れると、兄の全成と義円は出家して、それぞれ醍醐寺園城寺に入ったが、義経は11歳になって鞍馬寺に預けられた。

 1174年(承安4年)、16歳で奥州平泉へ下って藤原秀衡を頼る。

 1180年(治承4年)、兄の源頼朝挙兵すると、わずかな郎党を引き連れて頼朝のもとへ参じた。

 その後、兄範頼とともに頼朝の代官として出陣。

 1184年(元暦元年)1月に木曽義仲を滅ぼし、同年2月には一ノ谷で平家を敗走させた。

 翌1185年(元暦2年)2月、平家が本拠としていた屋島を奇襲し、3月には壇ノ浦で平家を滅亡させた。

 しかし、頼朝に無断で後白河法皇より任官されるなどの問題があって頼朝と対立し、逃亡生活を送ることとなる。

 1187年(文治3年)、再び奥州平泉の藤原秀衡を頼るが、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、藤原泰衡に襲撃されて衣川館で自刃。


鞍馬寺
リンクボタン鞍馬寺

(京都)

義経元服の地
リンクボタン義経元服の地

(滋賀県鏡の宿)
奥州平泉
リンクボタン奥州平泉

(岩手県平泉町)

吉野山
リンクボタン吉野山
(奈良)
静の舞
リンクボタン静の舞

高館義経堂
リンクボタン高館義経堂

(平泉・衣川館跡)
鞍馬・義経堂
リンクボタン義経堂
(京都:鞍馬寺)


源義経







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