中世歴史めぐり

平重衡とらわれの松跡
〜一ノ谷古戦場〜


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平重衡とらわれの松跡

 平重衡は、平清盛の五男。

 1180年(治承4年)12月28日、東大寺興福寺の反平家勢力を一掃するため、南都焼討をしたことで知られる武将。

 一ノ谷の戦いでは生田の森を守っていたが捕えられた。

 松の根に腰を下ろして無念の涙を流す重衡に村人が濁酒を差し出すと、喜んだ重衡は「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」と詠んだのだと伝えられている。


【アクセス】
山陽電車「須磨寺駅」下車すぐ



〜鎌倉へ送られた平重衡〜

 一ノ谷の戦い後、鎌倉に送られてきた重衡に会った源頼朝は、その態度に感心し、一族の冥福を祈るよう阿弥陀如来像を与えたのだという。

 鎌倉の教恩寺の本尊がそれだと伝えられている。

 1185年(元暦2年)3月、壇ノ浦で平家が滅亡すると、鎌倉の重衡は南都に引き渡されることとなり、木津川で斬首された。

 リンクボタン平重衡と平宗盛


鎌倉教恩寺
リンクボタン教恩寺



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一ノ谷古戦場
リンクボタン一ノ谷古戦場
(神戸市須磨区一ノ谷町)



一ノ谷古戦場MAP
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