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安福寺の十三重の塔は、南都衆徒に斬首された平清盛の五男・平重衡の墓(供養塔)と伝られている。 重衡は、1180年(治承4年)の南都焼討で東大寺・興福寺を焼き尽くした武将。 1184年(寿永3年)、一ノ谷の戦いで源範頼と源義経に敗れて捕えらた重衡は、鎌倉の源頼朝のもとへ送られたが、翌1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家が滅亡すると、南都衆徒に引き渡され、木津川の河原で斬首された。 |
一ノ谷の戦いで生田の森を守備していた重衡は、梶原景時らに捕えられたのだという。 |
鎌倉に送られた重衡は、頼朝から阿弥陀如来像を与えられたのだという。 その像は、鎌倉の教恩寺の本尊として伝えられている。 |
木津川で斬られた重衡の首は、首洗池で洗われ、奈良の般若寺に晒された後、妻の藤原輔子が胴体とともに京都日野の法界寺で荼毘に付し、日野に墓を建て、骨は高野山に埋葬したのだと伝えられている。 |
木津川市木津宮ノ裏274 JR奈良線「木津駅」から徒歩10分 |
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