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平重衡ゆかりの阿弥陀如来
〜鎌倉:教恩寺〜


編集:yoritomo-japan.com







 教恩寺の「木造阿弥陀如来及び両脇侍立像」は、1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで捕らえられ、鎌倉へ送られてきた平重衡にゆかりのある像と伝えられている。

 鎌倉時代のもので寄木造。

 『新編相模国風土記稿』では、運慶作と紹介されているようだが、穏やかな衣文の表現などから快慶風の作風が感じられるという。

 源頼朝は、「一族の冥福を祈るように」とこの阿弥陀像を平重衡に与えたのだという。


教恩寺阿弥陀像


 平重衡は、平清盛の五男で、1180年(治承4年)の南都焼討で知られる武将。

 鎌倉に送られてきた重衡の態度に感心した源頼朝は、重衡を客として厚遇した。

 『吾妻鏡』によれば、

 侍女の千手前を差し出し、酒宴の席を設けさせ、工藤祐経が鼓をうち、千手前が琵琶を弾き、重衡は横笛を吹いて楽しんだのだという。

 その酒宴には頼朝は同席していないが、後から楽しかったことを聞いた頼朝は、大いに残念がったのだとか。

 1185年(元暦2年)3月、平氏が壇ノ浦で滅亡すると、重衡は、南都の強い要求により東大寺の使者に引き渡され、6月23日、木津川で処刑された(29歳)。

 その後、千手前は北条政子に仕えていたようであるが、重衡処刑から3年後の1188年(文治4年)4月25日、24歳で死去。

 参考までに、

 『平家物語』は、千手前は出家して信濃の善光寺で重衡の菩提を弔いながら亡くなったと伝えている。

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平重衡
平重衡
(安福寺蔵)

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教恩寺
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 教恩寺は、1678年(延宝7年)創建の時宗の寺。
 秘仏の「聖観音菩薩像」は、鎌倉三十三観音の一つ。


鎌倉市大町1−4−29

0467(22)4457



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