鎌倉手帳(寺社散策)

紫式部 鎌倉の桜



信濃善光寺
〜長野市〜

編集:yoritomo-japan.com








善光寺


 信濃善光寺は、無宗派の単立寺院。

 本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」は、日本に仏教が伝来した552年(欽明天皇13年)に百済の聖明王から贈られた日本最古の仏像と伝えられ、その仏像を入手した本田善光が、602年(推古天皇10年)に信濃に伝えたのだとされている。

 現在地に遷座されたのは、642年(皇極天皇元年)。

 伽藍が建てられたのは644年(皇極天皇3年)。

 寺名は本田善光に由来。

 本尊は実際に生きているという意味で「生身の如来」と称され、絶対秘仏で開帳されることはない。

 鎌倉時代には源頼朝が参詣したと伝えられ、戦国時代には武田信玄によって本尊をはじめとする寺宝などが一時甲斐国に移されたが(甲斐善光寺)、1598年(慶長3年)に信濃に戻されている。


 仏教伝来について、現在では、538年(宣化天皇3年)とする説が有力。


リンクボタン源頼朝の参詣

リンクボタン戦国期の善光寺如来





善光寺の敷石
リンクボタン敷石
(7000枚の石畳)
善光寺仁王門
リンクボタン仁王門


善光寺延命地蔵
リンクボタン延命地蔵尊
(旧本堂跡)
善光寺釈迦堂
リンクボタン釈迦堂
(釈迦涅槃像)


善光寺の駒返り橋
リンクボタン駒返り橋
(源頼朝の伝説)
善光寺六地蔵
リンクボタン六地蔵


善光寺ぬれ地蔵
リンクボタンぬれ仏
(八百屋お七)
善光寺三門
リンクボタン三門
(鳩字の額)


善光寺本堂
リンクボタン本堂
(日本最古の善光寺如来)


善光寺鐘楼
リンクボタン鐘楼
(五輪開会を告げた鐘)
善光寺経蔵
リンクボタン経蔵
(一切経を収める堂)


善光寺忠霊殿
リンクボタン忠霊殿
(戦没者霊廟)
善光寺雲上殿
リンクボタン雲上殿
(納骨堂)









〜善光寺を運営する大本願と大勧進〜

善光寺大本願
リンクボタン大本願
善光寺大勧進
リンクボタン大勧進

 善光寺の住職は、大本願の善光寺上人と大勧進の貫主が勤めている。





〜善光寺前立本尊御開帳:1年延期〜

 「善光寺前立本尊御開帳」は、数え年で七年に一度、秘仏本尊の身代わり 「前立本尊」(鎌倉時代・重要文化財)を本堂に迎え、約2ヵ月にわたって行なわれる儀式。

 次回の「善光寺前立本尊御開帳」は、2021年(令和3年)の予定だったが、新型コロナウイルス感染が終息しない状況にあるため1年延期。


令和4年善光寺前立本尊御開帳

 2022年(令和4年)4月3日(日)から6月29日(水)。

 密を避けるため、期間が1ヶ月長く設定されています。


善光寺回向柱
リンクボタン歴代回向柱
(御開帳で建立される柱)


2022年(令和4年)
善光寺前立本尊御開帳
リンクボタン善光寺御開帳





木造地蔵菩薩立像
リンクボタンおやこ地蔵
(東日本大震災復興支援)
善光寺石造宝篋印塔
リンクボタン石造宝篋印塔
(伝佐藤兄弟の供養塔)


善光寺爪彫如来
リンクボタン爪彫如来
(親鸞の阿弥陀如来)





〜甲斐に移された善光寺如来〜

 善光寺の本尊「一光三尊阿弥陀如来像」は、戦国期に武田信玄によって甲斐国に移された。

 信玄は、上杉謙信との戦いで善光寺が焼けるのをおそれたのだという(参考:川中島古戦場)。

 武田氏滅亡後は、織田、徳川、豊臣を転々とした後、1598年(慶長3年)に信濃へ戻されている。


武田信玄と上杉謙信
リンクボタン川中島古戦場


甲斐善光寺
リンクボタン甲斐善光寺








善光寺と鶴岡八幡宮

源頼朝像と善光寺

歴史めぐり源頼朝




善光寺
信濃善光寺

長野県長野市元善町491

JR長野駅からバス「善光寺大門」下車。
善光寺大門から本堂まで徒歩15分。





中世歴史めぐり



60年に一度の祭礼
円覚寺洪鐘祭
源頼朝も祀る!
日光東照宮


紫式部 鎌倉の桜


鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


徳川家康 紫式部