鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編

紅葉



教 恩 寺
=平重衡が信仰した阿弥陀仏=

編集:yoritomo-japan.com







鎌倉:教恩寺


 教恩寺(時宗)は、一ノ谷の戦いで捕らえられた平清盛の五男重衡が信仰した阿弥陀如来を本尊とする寺。

 重衡は、南都焼討によって、奈良の東大寺興福寺を焼いた武将。

 一ノ谷の戦いで捕らえられて鎌倉に送られてきた際に、源頼朝より一族の冥福を祈るように阿弥陀像を与えられたのだという。

 その像が教恩寺の本尊で、運慶作と伝えられている。

 もともとこの地には光明寺末の善昌寺があったが、廃寺となったため、1678年(延宝7年)、貴誉上人によって光明寺境内にあった北条氏康建立と伝わる教恩寺が移築されたのだといわれている。

 その後、浄土宗より時宗に改宗したと考えられている。


リンクボタン鎌倉観音巡礼第12番札所
(聖観世音)

開山:知阿
開基:北条氏康
本尊:阿弥陀如来三尊


鎌倉:教恩寺
山門の十六羅漢の彫刻

鎌倉:教恩寺

 境内に置かれている旧鬼瓦には、時宗の「折敷に三」の紋。

 源頼朝が酒宴の席で、折敷に「一」・「二」・「三」と書き、「一」を自分の前に、「二」を北条時政の前に、「三」を河野通信の前に置いたことから、河野家の家紋が「折敷に三」となったのだといわれている。

 時宗開祖の一遍は、伊予の河野氏の出身。


リンクボタン時宗総本山遊行寺(清浄光寺)

リンクボタン鎌倉の時宗の寺






〜重衡が帰依した阿弥陀如来像〜

 源頼朝から与えられた「阿弥陀如来像」に深く帰依した平重衡

 往生できるよう祈願すると阿弥陀像が三度うなずいたのだとか・・・

 かつて、教恩寺の寺宝の中には、重衡と千手前(源頼朝の侍女)が酒を酌み交わしたという杯があったといわれ、黒の漆塗りで、梅の蒔絵が施してあった杯だったと伝えられている。

 重衡が鎌倉に送られてきたとき、籠堂(こもりどう)が建立され、阿弥陀三尊が安置されたともいわれ、その堂が教恩寺の前身とする説もある。


教恩寺:阿弥陀如来
リンクボタン阿弥陀如来像



〜南都焼討〜

東大寺
リンクボタン東大寺
興福寺
リンクボタン興福寺

 1180年(治承4年)12月25日、平清盛は重衡を南都に派遣。

 12月28日、重衡は南都を焼討ちし、東大寺興福寺を焼き尽くした。


リンクボタン南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜



〜一ノ谷の戦い〜

一の谷古戦場
リンクボタン一ノ谷古戦場
平重衡とらわれの松跡
リンクボタン平重衡
とらわれの松跡

 1184年(寿永3年)2月7日、平家一門は、源範頼源義経に拠点としていた一ノ谷を攻められ、海上に逃れた。

 重衡は、生田の森を守備していたが、梶原景時らに捕えられている。







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教恩寺
教恩寺

鎌倉市大町1−4−29

0467(22)4457

鎌倉駅東口から徒歩7分



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