奈良・京都

紫式部 紫式部年表



平重衡首洗池と不成柿
~京都木津川~

編集:yoritomo-japan.com








平重衡首洗池・不成柿


 平重衡首洗池は、1185年(元暦2年)6月23日、南都衆徒に斬られた重衡の首を洗ったという池。

 1180年(治承4年)の南都焼討東大寺興福寺を焼き尽くした重衡は、1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで捕らえられ、
一時、鎌倉の源頼朝のもとにいたが、1185年(元暦2年)、南都衆徒に引き渡されて斬首された。

 木津川で斬られた重衡の首は、奈良の般若寺に晒されたが、首洗池で洗ってから持参されたのだという。

 首洗池の傍らには、重衡を哀れむ人々によって柿の木が植えられたが、実がならないため不成柿(ならずがき)と呼ばれるようになったのだとか。



平重衡の供養塔(墓)
リンクボタン平重衡の供養塔
(安福寺)

 重衡終焉の地にある安福寺の十三重塔は、平重衡の供養塔と伝えられている。

 般若寺に晒された重衡の首は、妻の藤原輔子が胴体とともに京都日野の法界寺で荼毘に付し、日野に墓を建て、骨は高野山に埋葬したのだと伝えられている。




南都焼討


一ノ谷の戦い









歴史めぐり源頼朝




平重衡首洗池・不成柿
平重衡首洗池・不成柿

木津川市木津宮ノ裏245−5

JR奈良線「木津駅」から徒歩12分



平重衡終焉の地
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。








奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時