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大納言塚は、「大和大納言」と尊称されていた豊臣秀長の墓所。 秀長は、1591年(天正19年)1月22日、郡山城内で死去し、ここに葬られた(享年52)。 戒名は「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」。 |
大納言塚の入口に置かれている「お願いの砂」は、穴の中に砂を3回通すと願いが叶うのだとか。 |
京都の大徳寺の塔頭大光院は、大納言塚と秀長の位牌を管理するために、秀長の婿養子・豊臣秀保が古渓宗陳を開山として建立したことに始まる。 1595年(文禄4年)、秀保が急死して大和豊臣家が断絶すると、1599年(慶長4年)、大光院は藤堂高虎によって大徳寺内に移された。 |
大光院が大徳寺に移転した後、秀長の墓所と位牌の管理は、東光寺に託された。 東光寺は秀長の戒名に因んで名を春岳院に改め、秀長の位牌所菩提寺として今日に至っている。 現在の大納言塚の五輪塔は、1777年(安永6年)に春岳院の僧らの尽力で建てられたもの。 |
大和郡山城は、豊臣秀長が100万石の大名として入城し、豊臣政権の畿内統治の拠点となった城。 |
奈良県大和郡山市箕山町14 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩15分 JR郡山駅から徒歩20分 |
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