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春岳院(しゅんがくいん)は、東光寺と呼ばれていた寺院。 豊臣秀長の菩提寺だった大光院が京都の大徳寺に移ったことで、秀長の墓所と位牌の管理を託され、名を秀長の戒名に因んで春岳院と改めたのだという。 秀長の肖像画や箱本制度の資料文献が残されている。 本尊は阿弥陀如来。 |
奈良県大和郡山市新中町2 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩10分 |
豊臣秀長は1591年(天正19年)1月22日、郡山城内で死去。 墓所は大納言塚と呼ばれている。 |
京都の大徳寺の塔頭大光院は、大納言塚と秀長の位牌を管理するために、秀長の婿養子・豊臣秀保が古渓宗陳を開山として建立したことに始まる。 1595年(文禄4年)、秀保が急死して大和豊臣家が断絶すると、1599年(慶長4年)、大光院は藤堂高虎によって大徳寺内に移された。 |
大和郡山城は、豊臣秀長が100万石の大名として入城し、豊臣政権の畿内統治の拠点となった城。 奈良県大和郡山市城内町 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩7分 JR郡山駅から徒歩15分 |
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