奈良・京都

紫式部 紫式部年表



東山道・鏡の宿
〜源義経元服の地〜


編集:yoritomo-japan.com








鏡の宿


 鏡の宿(かがみのしゅく)は、東山道の宿場(宿駅)。

 『平治物語』によると、1174年(承安4年)3月3日、京都の鞍馬寺に預けられていた遮那王(源義経)は、金売り商人吉次と下総の深栖三郎光重の子・頼重を伴って奥州平泉藤原秀衡のもとへ旅立ち、鏡の宿で元服したのだと伝えられている。 



鞍馬寺
リンクボタン鞍馬寺
(義経ゆかりの寺)
首途八幡宮
リンクボタン首途八幡宮

(義経旅立地)


奥州平泉
リンクボタン奥州平泉


リンクボタン源義経の奥州下り〜平治物語〜





〜義経をめぐる鏡の宿〜


義経の元服池
リンクボタン義経の元服池
烏帽子掛けの松
リンクボタン鳥帽子掛けの松


鏡神社
リンクボタン鏡神社
八幡神社
リンクボタン八幡神社


白木屋跡
リンクボタン白木屋跡
(義経宿泊の館)
烏帽子屋五郎太夫の屋敷跡
リンクボタン烏帽子屋五郎太夫
屋敷跡









〜鏡の宿の近くには平家終焉の地〜

宗盛塚
リンクボタン宗盛塚
(野洲)

 1185年(元暦2年)6月21日、壇ノ浦の戦いで捕えられられた平宗盛・清宗父子を鎌倉から護送してきた源義経は、篠原宿で宗盛を、野路口で清宗を処刑した。





〜『義経記』では尾張国で元服〜

熱田神宮
リンクボタン熱田神宮


 『平治物語』は近江国鏡の宿、『義経記』は父義朝が最期を遂げた尾張国を元服の地としている。

 「義」は源氏ゆかりの通字、「経」は清和源氏の祖・源経基の一字をもらったものなのだとか。

 熱田神宮大宮司を烏帽子親として元服したのだとも・・・。

 リンクボタン『義経記』が描く源義経の奥州下り









源義経
リンクボタン源義経


源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝

源平合戦





鏡の宿
鏡の宿

滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡1289

JR琵琶湖線「篠原駅」下車徒歩

JR琵琶湖線 「近江八幡駅」からバス「鏡口」下車

JR琵琶湖線 「野洲駅」 からバス「道の駅竜王かがみの里」下車



鏡の宿MAP
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。









奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時