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望月重隆(もちづきしげたか)は、信濃国佐久郡に勢力を誇った望月国親の子。 1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の和議成立後、義仲の子義高が鎌倉に送られる際に海野幸氏らとともに随行。 志田義広の反抗と 木曽義仲との対立 義仲と義高が討たれた後、頼朝の御家人として仕え、1193年(建久4年)5月の富士裾野の巻狩りに随行している。 同年8月16日の鶴岡八幡宮放生会の流鏑馬で射手を務めた。 武田信光・小笠原長清・海野幸氏と並んで弓馬四天王と称された。 |
常楽寺の木曽塚は、源頼朝に誅殺された木曽義高の首塚と伝えられている。 |
清水八幡宮は、清水冠者と呼ばれていた義高を祀る社。 |
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