鎌倉手帳(寺社散策)

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三代執権北条泰時

編集:yoritomo-japan.com







北条泰時墓
リンクボタン北条泰時墓
(鎌倉:常楽寺)


 鎌倉幕府二代執権北条泰時は、1183年(寿永2年)に誕生。

 父は二代執権北条義時

 母は阿波局。

 幼名は金剛。

 リンクボタン鎌倉北条九代






 1194年(正嘉元年)2月2日

 13歳で元服。
 烏帽子親は源頼朝
 頼朝の一字を賜わり「頼時」と名付けられた。
 「泰時」に改名されたのは頼朝の死後と考えられている。


 1202年(建仁2年)8月23日

 三浦義村の娘と結婚。


 1203年(建仁3年)

 長男時氏が生まれる。


 1203年(建仁3年)9月2日

 比企能員北条時政に暗殺される。
 泰時は、北条政子の命により義時らとともに比企邸を攻め、一族を滅亡させた。

比企能員の暗殺・比企氏滅亡


 1212年(建仁3年)

 次男時実が生まれる。
 母は安保実員の娘(継室)。


 1213年(建暦3年)5月3日

 義時とともに侍所別当の和田義盛を滅ぼす。

和田合戦


 1218年(建保6年)7月22日

 侍所の別当に就任。


 1221年(承久3年)

 5月15日、後鳥羽上皇が義時追討の宣旨を発する(承久の乱)。

 5月22日、泰時が出陣(参考:北条泰時の出陣)。

 6月14日、宇治川の戦いで朝廷軍を撃破して、翌15日に京都市中に入って鎮圧。

 のちに北条政子は、承久の乱に勝利できたのは「半分以上は泰時の手柄によるもの」と語っている。


承久の乱

北条政子の言葉

宇治川の戦い〜承久の乱〜


瀬田の唐橋
リンクボタン瀬田の唐橋
宇治橋
リンクボタン宇治橋

 瀬田橋宇治橋は京都防衛の要衝地。

 1184年(寿永3年)の源頼朝木曽義仲追討の際には、源範頼が瀬田を、源義経が宇治を攻めて義仲を敗走させている。

 承久の乱では、北条時房が瀬田を北条泰時が宇治を攻めて入京した。



〜源頼朝から賜った刀〜

 『吾妻鏡』によると・・・
 1192年(建久3年)5月26日、歩いて遊びに出かけていた金剛(泰時)。
 すると多賀重行がその前を下馬もせず通り過ぎたのだという。
 その話を聞いた頼朝は、重行を咎めるが、重行はそのような非礼に覚えがないと弁明。
 金剛に聞いても、そのような事なかったと答えた。
 しかし頼朝は、重行は嘘をつき、金剛は重行をかばっていると判断。
 重行の所領を没収する一方で、慈悲深い金剛には刀を与えたのだとか。
 泰時は、承久の乱で頼朝から賜った刀を帯びていたのだという。


〜六波羅探題〜

 承久の乱後、幕府は朝廷の動きを監視するため、京都に六波羅探題を設置。
 北条泰時と北条時房の二人が六波羅の北と南に駐留。
 六波羅は平清盛をはじめとする平家一門の邸宅があったところで、六波羅蜜寺の周辺。

六波羅蜜寺
リンクボタン六波羅蜜寺
六波羅探題府址碑
リンクボタン平氏六波羅第・
六波羅探題府跡碑







 1224年(貞応3年)6月13日

 父義時急死。


 1224年(貞応3年)6月28日

 第三代執権に就任。



〜伊賀氏の変〜

 義時の死後、三代執権には泰時が就任するが、義時の後妻の伊賀の方は、兄伊賀光宗と謀叛を企てたとして伊豆国に追放された(伊賀氏の変)。
 ただ、この事件は、北条政子のでっちあげだともされ、泰時は謀叛を否定している。


北条義時夫妻の墓
桜義時と伊賀の方の墓
(伊豆の国市・北條寺)

 北條寺の義時と伊賀の方の墓は、泰時が建てたもの。



 1225年(嘉禄元年)6月10日

 源頼朝以来の幕臣大江広元が死去。


 1225年(嘉禄元年)7月11日

 北条政子が死去。


 1225年(嘉禄元年)

 連署評定衆を設置。



〜連署〜

 連署は、幕府の公文書に執権と連名で署名する者。
 『吾妻鏡』によると、泰時が執権に就任した1224年(貞応3年)6月28日、北条政子は北条時房を後見役に任命している。
 この記述から、連署は政子が設置したものと考えられてきたが、現在では政子の死後に泰時が設置し、時房を任命したとする説が定着している。 



 1225年(嘉禄元年)12月20日

 幕府を宇津宮辻子に移転。
 12月20日、四代将軍となる三寅(藤原(九条)頼経)が入る。

宇津宮辻子幕府跡
リンクボタン宇津宮辻子幕府跡


 1226年(嘉禄2年)1月27日

 藤原(九条)頼経が四代将軍に。


 1227年(嘉祿3年)6月18日

 次男時実が家人に殺される(16歳)。


 1230年(寛喜2年)6月18日

 長男時氏が死去(28歳)。
 時氏は四代執権経時、五代執権時頼の父。


 1230年(寛喜2年)8月4日

 三浦泰村の妻となった娘が死去(25歳)。
 前月15日に女子を出産していたが、その子は7月26日に亡くなっている。


 1230年(寛喜2年)12月9日

 四代将軍藤原(九条)頼経源頼家の娘竹御所と結婚。


 1230年(寛喜2年)〜1231年(寛喜3年)

 1230年(寛喜2年)、天候不順による大凶作が全国を襲い、翌年は大飢饉となり疫病が大流行した(寛喜の飢饉)。
 1231年(寛喜3年)5月4日、四代将軍藤原(九条)頼経の父道家は、ある僧が祇園さま(八坂神社)のお告げを受けて書いたという札を鎌倉に送っている。
 御所ではその夜に四角四境の鬼気祭が行われている。
 1231年(寛喜3年)5月17日には、鶴岡八幡宮で天下泰平國土安隠の祈祷が行われている。

 リンクボタン四角四境祭

 リンクボタン北条泰時の鬼気の祭


 1232年(貞永元年)

 御成敗式目を制定。


 1232年(貞永元年)8月9日

 和賀江嶋が築かれる。

鎌倉・和賀江嶋
リンクボタン和賀江嶋







 1234年(天福2年)7月27日

 竹御所が死去したことにより源頼朝の直系は断絶。


 1235年(文暦2年)

 四代将軍藤原(九条)頼経が五大堂(明王院)を建立。

明王院
リンクボタン明王院


 1238年(嘉禎4年)7月11日

 一切経五千余巻を園城寺唐院灌頂堂に納める。
 一切経は、前年の北条政子の十三回忌にあたり書写したもので、この日は政子の命日。
 一切経の校合には、当時東国で布教活動をしていた浄土真宗の開祖親鸞もかかわっていたといわれる。
 ただ、明王院建立時にも一切経が書写されており、こちらの校合にかかわった可能性の方が高いのだという。

園城寺
リンクボタン園城寺
(大津市)
真楽寺
リンクボタン真楽寺
(小田原市)

 園城寺(三井寺)は、政子と泰時が信仰した寺。
 真楽寺は親鸞が逗留していたという寺。



〜子泰次が親鸞に帰依〜

 泰時の子泰次は、常盤の坊舎に逗留していたという親鸞に拝謁して弟子となり「成仏」という名を授かったのだという。
 成福寺は泰次が開いた鎌倉で唯一の浄土真宗の寺。
 下総国の結城朝光や武蔵国の葛西清重も東国布教中の親鸞に帰依し、朝光は称名寺(結城市)を、清重は西光寺(東京葛飾区)を建立している。

鎌倉・成福寺
リンクボタン成福寺
(鎌倉)

称名寺
リンクボタン称名寺
(結城市)
西光寺
リンクボタン西光寺
(葛飾区)



 1236年(嘉禎2年)

 幕府を若宮大路に移転。

若宮大路幕府跡
リンクボタン若宮大路幕府跡


 1236年(嘉禎2年)10月5日

 興福寺の衆徒が蜂起したため、臨時的に大和国に守護を置き、多数の地頭を送り込んで鎮圧。
 この前年から、興福寺石清水八幡宮は、境界問題で比叡山延暦寺も巻き込んだ争いを続けていた。


 1241年(仁治2年)

 朝夷奈切通巨福呂坂を掘削。

朝夷奈切通
リンクボタン朝夷奈切通
鎌倉青梅聖天
鎌倉観光巨福呂坂


 1242年(仁治3年)6月15日

 泰時死去(60歳)。



〜後鳥羽上皇の祟り〜

 泰時の父義時が亡くなったのが6月13日、北条政子が亡くなったのが7月11日、大江広元が亡くなったのが6月10日。
 そして、泰時が亡くなったのが6月15日。
 いずれの死も、承久の乱で朝廷軍が敗れ、後鳥羽上皇が配流された6月・7月に集中していたことから、後鳥羽上皇の怨霊による祟りではないかという噂が流れたのだとか・・・



鎌倉・成就院
リンクボタン成就院
鎌倉・常楽寺
リンクボタン常楽寺

 成就院は、泰時が1219年(承久元年)に創建。
 北条一族の繁栄を祈願したと伝えられている。

 常楽寺は泰時の菩提寺。
 1237年(嘉禎3年)、妻の母の供養のために建てた「粟船御堂」を前身としている。


願成就院
リンクボタン願成就院
(伊豆の国市)

 願成就院は、1189年(文治5年)、北条時政源頼朝奥州討伐の戦勝を祈願して建立。
 北条三代(時政、義時、泰時)にわたって、次々に堂宇が建立され繁栄を極めた。
 本尊阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、時政の発願により造立された運慶の真作。







北条得宗家の所領だった北鎌倉
山内荘と北条氏

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北条氏をめぐる鎌倉



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