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西光寺は、1225年(嘉禄元年)に源頼朝に仕えた葛西清重が居館に建立した寺院。 寺伝によると、清重館に関東教化中の親鸞が逗留するが、長雨により53日間にもなった。 その間、清重は親鸞の弟子となって出家し、西光坊定蓮(じょうれん)と名乗り、自邸を寺とし、雨降山西光寺と名付けたのだという。 以後、浄土真宗の寺院として繁栄したが、度重なる戦火や水害により衰退し、無住となった時期もあったが、寛永年間(1624−44)に天台宗の僧によって復興され、浅草寺末となって山号も超越山に改められた。 清重が彫ったとされる聖徳太子像、その像の胎内仏として親鸞が彫ったという阿弥陀如来像、親鸞筆の阿弥陀如来画像を所蔵。 本尊は阿弥陀如来。 |
『吾妻鏡』によると・・・ 1180年(治承4年)11月10日、佐竹征伐を終えた源頼朝は、その帰路、葛西清重の屋敷に宿泊。 清重は妻に配膳させたのだが、頼朝には妻だとは言わず、よそから未婚の女性をご用意したと伝えたのだとか。 |
かつて、清重の墳墓上にあったのだという稲荷社。 |
葛飾区四つ木1−25−8 京成押上線「四ツ木」駅から徒歩10分 |
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