奈良・京都

京都:神泉苑

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神泉苑


 神泉苑は、天皇や公家が船遊びなどをするため、794年(延暦13年)、桓武天皇によって平安京の大内裏に接して造営された広大な禁苑。

 しかし、二条城の築城の際に北側が大きく縮小させられるなど、現在では、当時の十二分の一にも満たない規模となってしまった。

 雨乞いの霊場だったという神泉苑では、東寺弘法大師(空海)が祈祷を行い、静御前が舞ったと伝えられている。

 現在は東寺真言宗の寺院。

 法成池の中島にある恵方社は、毎年大晦日の晩に恵方の方角に祠の向きが変えられるという日本で唯一のもの。





善女龍王社
善女龍王社

 干ばつが続いていた824年(天長2年)、東寺弘法大師(空海)は、淳和天皇の勅命により神泉苑の畔で「雨乞い」の祈祷を行い、善女龍王を呼び出して日本国中に雨を降らせたという。



〜弘法大師と守敏僧都の雨乞い対決〜

 『今昔物語』によれば、東寺空海西寺の守敏(しゅびん)は、祈雨の法力競いを行った。

 まず、守敏が雨を降らせることに成功した。

 続いて空海が祈るが雨は降らなかったという。

 怪しんだ空海が法力を使って調べてみると、守敏があらゆる雨の神(龍神)を法力で水瓶の中に封じていることが判明した。

 空海は考えた末、天竺の無熱池に善女龍王がいることを知り、善女龍王に祈ったところ、黒雲が湧き起こって雨が降った。

 守敏の雨は都にしか降らなかったのに対し、空海の雨は3日間にわたって国中に雨を降らせ、国土を潤したのだとという。



神泉苑法成橋
法成橋

 神泉苑内の法成池に架けられた朱塗りの橋。

 この橋を渡って善女龍王社に参ると願い事がかなうといわれている。

 ただし、願い事は一つだけ。

 源義経静御前が出会った橋とも・・・







〜祇園祭〜

 京都三大祭の一つ「祇園祭」は、当初は「祇園御霊会」と呼ばれていた。

 863年(貞観5年)に疫病が流行した際、神泉苑では「御霊会」が行われるが、その後も疫病の流行が続いたことから、869年(貞観11年)、当時の国の数「66」の矛を立てて、八坂神社から神泉苑へと行列したことが「祇園祭」の始まりだという。


八坂神社
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山鉾巡行
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 八坂神社本殿の下にある「龍穴」は、神泉苑に通じているのだという。



〜源義経と静御前〜

 1182年(寿永元年)、後白河法皇は、白拍子100人に「雨乞いの舞」を舞わせた。

 99人までが舞っても雨が降らなかったが、100人目の静御前が舞うと3日間雨が降り続いたと伝えられている。

 その後静御前は、「住吉での雨乞い」の際に源義経に気に入られ妾となったと伝えられている。


静の舞
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源義経をめぐる京都





神泉苑
本堂

 神泉苑の本尊は、聖観音・不動明王・弘法大師。


神泉苑

京都市中京区御池通神泉苑町167

地下鉄東西線「二条城前」駅下車
押小路通を西へ徒歩約5分







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