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日本一の静の舞
〜神泉苑の雨乞いの舞〜

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 『義経記』によると・・・

 源頼朝三島大社を参拝した時の事。

 その道中で河越重頼が「静御前の舞を見たかった」と話します。

 梶原景時は「日本一の舞」と語ります。

 頼朝が「大げさな話だ。どこで舞って日本一と言われたのか?」と問うと、景時は次のように説明したようです。


 「一年で百日の日照りが続く年がありました。

 賀茂川・桂川の水は流れず、井戸の水も絶えました。

 慣例によって比叡山三井寺東大寺興福寺などの高僧が神泉苑で仁王経を唱えましたが、八大龍王は願いを聞き入れてくれませんでした。

 続いて、ある者が

 「容貌がすばらしく美しい白拍子100人を神泉苑に集めて、後白河法皇の行幸を仰いで舞わせれば、竜神が願いを聞いてくれましょう」

 と言うので、100人の白拍子を舞わせることにしますが、99人が舞っても効果がありません。

 残るはただ一人。

 「静が舞っただけで竜神が願いを聞き入れてくれるのだろうか」 という意見もあったようですが、後白河法皇は「人数のうちならば舞わせよ」と命じます。

 そして、が舞うと・・・

 山々から黒雲が湧きあがり、八大龍王が現れ、稲妻が光り、三日間も雨が続き、国土が安寧になり、法皇は静の舞に「日本一」の宣旨を与えたのです・・・」


 この話を聞いた頼朝は鶴岡八幡宮で舞わせることにしたのだとか。



神泉苑
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(京都)


 静は神泉苑の雨乞いの舞の時に源義経に初めて会い、堀川の御所へ呼ばれたのだとか。

 神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。

 池に架かる朱塗りの橋は法成橋。

 源義経静御前が出会ったという橋。

 5月の神泉苑祭では、法成橋で「静御前の舞」が奉納される。









神泉苑
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京都市中京区御池通神泉苑町167

地下鉄東西線「二条城前」駅下車
押小路通を西へ徒歩約5分


静の舞

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