中世歴史めぐり

乱  橋
〜源義朝最期の地〜

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乱橋の碑
乱橋の碑


 平治の乱平清盛に敗れた源義朝は、京を脱出し尾張国野間の長田忠致・景致父子のところに身を寄せたが、長田父子の裏切りに遭い、入浴中に殺害されてしまう。

 乱橋は、義朝が殺されことを聞いて駆けつけた渋谷金王丸や鷲栖玄光らと、長田の家来たちが戦った場所だと伝えられ、そのため乱橋と呼ばれるようになったのだという。

 また一説には、法山寺の本尊薬師如来への参詣者が潮の満ち引きの間にこの橋を競って渡り、常に橋板が乱れがちであったからとも伝えられている。


乱橋
乱橋

 長田忠致は、尾張国野間を本拠とし源氏に従っていた。
 忠致の娘は義朝の郎党鎌田政家の妻(参考:源義朝の墓)。



〜金王丸〜

 金王丸は、相模国渋谷荘を領していた渋谷重国の子とも弟ともいわれる人物。

 平治の乱後、東国へ落ちる義朝に従いっていた。

 義朝が殺害されると京へ上り、常盤御前義朝の死を知らせて出家し、土佐坊昌俊と名乗ったという(参考:金王八幡宮







〜源義朝と美浜町野間〜

源義朝終焉の地
リンクボタン源義朝最期の地:野間



歴史めぐり源頼朝



法山寺
法山寺

愛知県知多郡美浜町野間田上50

名鉄知多新線 野間駅から徒歩10分



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