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1159年(平治元年)、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は、京を脱出して尾張国野間の長田忠致・景致父子のところに身を寄せたが、1160年(平治2年)正月3日、長田父子の裏切りに遭い最期を遂げた。 野間大坊の血の池は、義朝の首を洗った池と伝えられ、国に変事があると池の水が紅く染まるという。 |
![]() ![]() (法山寺) |
![]() ![]() (野間大坊) |
御湯殿は義朝が暗殺された所。 木太刀が供えられた義朝墓の周囲には、頼朝の助命嘆願をした池禅尼、義朝とともに暗殺された鎌田政家と妻の墓も置かれている。 |
義朝の首は、一緒に殺害された鎌田政家の首とともに京へ送られ、正月9日に獄門にかけられた。 のちに義朝の子頼朝は後白河法皇に依頼して2人の髑髏を鎌倉に送ってもらい、勝長寿院に葬っている。 |
源義朝を殺害した長田父子は、のちに源頼朝によって殺されたのだと伝えられている。 |
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愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50 名鉄知多新線 野間駅から徒歩10分 |
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