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龍安寺は、1450年(宝徳2年)、徳大寺家の山荘を譲り受けた細川勝元が、妙心寺五世の義天玄承(ぎてんげんしょう)を開山に招いて創建。 山号は大雲山。 妙心寺の境外塔頭。 本尊は釈迦如来。 応仁の乱(1467-1477年)の兵火によって焼失するが、1488年(長享2年)、勝元の子政元が再興した。 中興開山は、四世の特芳禅傑(どくほうぜんけつ)。 その後、豊臣秀吉や江戸幕府によって保護され、最盛期には塔頭21か寺を数えたというが、1797年(寛政9年)の火災で主要伽藍が焼失。 現在の方丈(本堂)は、塔頭の一つ西源院の方丈を移築したもの。 |
細川勝元は室町幕府の管領を務めた人物。 応仁の乱では東軍総大将として山名宗全らの守護大名と戦った。 |
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![]() ![]() (大本山) |
龍安寺の北東の山腹には、1011年(寛弘8年)6月22日に崩御した一条天皇の円融寺北陵がある。 7月8日夜に火葬された遺骨は、翌日、東山の円成寺に安置された後、1020年(寛仁4年)6月16日、円融寺に改葬された。 |
円融寺は、一条天皇の父・円融天皇の勅願寺として創建され、花山天皇に譲位した円融上皇が居住した寺。 仁和寺の一院で、仁和寺の周辺には一条天皇の円教寺、後朱雀天皇の発願で後冷泉天皇のときに完成した円乗寺、後三条天皇の円宗寺があった。 円融天皇の崩御後は衰退し、平安時代末、その跡地は藤原実能の山荘となり、室町時代には細川勝元が龍安寺を創建している。 |
円融天皇は円融寺に葬られた。 |
龍安寺内には、一条天皇の第三皇子・後朱雀天皇の円乗寺陵や後朱雀天皇の皇后・禎子内親王の円乗寺東陵もある。 |
![]() 円乗寺陵 |
![]() 円乗寺東陵 |
龍安寺内にある大珠院(妙心寺塔頭)は、妙心寺22世興宗宗松の創建。 当初は大珠寺と称して洛中にあったといわれ、天文年間(1532年-1555年)に龍安寺内に移転したのだという。 院前の鏡容池の島にある真田信繁(幸村)と妻竹林院の五輪塔は、信繁の七女・おかねを妻としていたという石川貞清が建立したのだと伝えられている。 大珠院は非公開。 |
真田信繁(幸村)の墓所~京都:妙心寺塔頭養徳院と大珠院~ |
京都市右京区龍安寺御陵下町13 市バス50、55、59系統「立命館大学前下車」徒歩7分 JRバス「龍安寺」下車すぐ 京福電車「龍安寺道駅」下車7分 |
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