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大雲寺(だいうんじ)は、971年(天禄2年)、円融天皇が比叡山に行幸した際、紫雲がたなびいた聖地に創建された寺。 開基は藤原文範。 比叡山から紫雲たなびく地に下りた文範は、そこが観音浄土であることを知らされたのだという。 開山は文範に招かれた真覚。 本尊は行基作という十一面観音。 大雲寺は観音霊場として繁栄し、往時には四十九の堂塔伽藍が建ち並び、紫式部の『源氏物語』や『太平記』にも描かれた。 度重なる兵火で焼失し、その度に再建されてきたが、1985年(昭和60年)の大雲寺事件後に寺地が失われた。 現在は、塔頭宝塔院の旧地に移転して仮本堂が営まれている。 |
行基作とされる本尊の十一面観音は、大和国長谷寺の十一面観音と同じ木で造立されたのだという。 大和国長谷寺は聖武天皇の勅命により、東大寺開山の良弁の弟子・徳道が開いた観音霊場で、本尊の十一面観音は、徳道が楠の霊木で造立させたもの。 その開眼供養の導師をつとめたのが行基。 この時、行基は同じ霊木を使って聖武天皇の姿を写した像を造立したのだと伝えられている。 この像が大雲寺に伝わる十一面観音像。 大和国長谷寺の十一面観音と同じく、右手に錫杖を左手に蓮華の花瓶を持つもの。 |
※ | 鎌倉の長谷寺の十一面観音も同じ霊木で造立されたと伝えられている。 |
大雲寺を創建した藤原文範は、紫式部の曾祖父にあたる。 文範→為信→娘→紫式部。 紫式部の『源氏物語』(若紫の巻)で、光源氏と紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は、大雲寺がモデルともいわれる。 |
正面に阿弥陀如来、右側に観音菩薩、左に地蔵菩薩が刻まれている。 |
万里小路藤房(藤原藤房)は、後醍醐天皇に仕えた公卿。 後醍醐天皇の倒幕計画に参画し、建武の新政でも要職をになったが、世を儚み出家。 その後の動向は不明。 |
石座神社は、880年(元慶4年)以前から岩倉の地に鎮座しているという社。 石座(いわくら)は、地名の岩倉の由来となったといわれる。 971年(天禄2年)、大雲寺の鎮守社として現在地に勧請されたのだという。 |
京都市左京区岩倉上蔵町305 |
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