紫式部「光る君へ」


冷泉天皇


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 冷泉天皇(れいぜいてんのう)は、村上天皇の第二皇子。

 母は右大臣藤原師輔の娘・安子。

 950年(天暦4年)5月24日、五条邸で誕生。

 諱は憲平(のりひら)。



村上天皇
62代天皇

円融天皇
64代
 
冷泉天皇
63代

一条天皇
66代
 
三条天皇
67代
 
花山天皇
65代



 967年(康保4年)、村上天皇が崩御すると即位。

 関白に太政大臣藤原実頼、左大臣に源高明、右大臣には藤原師尹が就任した。



リンクボタン両統迭立の皇位継承~冷泉系と円融系~





(参考)
~即位の礼~

 平安時代の即位の礼は、原則として平安宮朝堂院の大極殿で行われていた。

 しかし、冷泉天皇は病気だったため内裏の紫宸殿で即位。

 これが紫宸殿で即位の礼が行われた最初となる。



平安宮
リンクボタン平安宮
(大内裏)
平安宮内裏跡
リンクボタン内裏跡


 平安宮は、平安京の宮城。

 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。

 平安時代の内裏(御所)は、京都御所の西方にあった。



大極殿跡
リンクボタン大極殿跡
(朝堂院正殿)
平安宮豊楽院跡
リンクボタン豊楽殿跡
(豊楽院正殿)


 平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。

 大極殿は、朝堂院の正殿。

 豊楽殿は、豊楽院の正殿。

 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。

 平安神宮の拝殿は、朝堂院の大極殿を模している。



平安宮 内裏 紫宸殿跡
リンクボタン紫宸殿跡
(平安宮)
紫宸殿
リンクボタン紫宸殿
(京都御所)





~わずか2年で譲位~

 冷泉天皇は即位前から病気がちであったため、村上天皇は皇太弟を立てるよう遺命していたのだという。

 そのため、立太子をめぐって異母兄の第四皇子・為平親王を推す源高明と守平親王(円融天皇)を推す藤原師尹が対立するが・・・

 同年、守平親王が皇位継承順位第1位となる。

 これにも村上天皇の遺命があったとする説がある。

 しかし、対立は収まらず、969年(安和2年)の安和の変で源高明が失脚。

 藤原師尹が左大臣となり、右大臣に藤原在衡が昇任された。

 そして、冷泉天皇は円融天皇に譲位している。

 1011年(寛弘8年)10月24日、冷泉院で崩御(62歳)。



源高明の娘は為平親王の妻。

藤原道長室となった明子も源高明の娘。

安和の変と皇位継承問題は無関係ではないが、切り離して考えるべきという説がある。





冷泉天皇櫻本陵
リンクボタン冷泉天皇櫻本陵

 冷泉天皇の櫻本陵は、後一条天皇の中宮・藤原威子の火葬塚でもある。

 威子は、火葬後は宇治陵に葬られている。



冷泉院跡
リンクボタン冷泉院跡

 冷泉院は、嵯峨天皇の離宮として造営され、譲位した上皇が後院(譲位した後の御所)として利用した。

 冷泉天皇の後院にもなった。

 二条城の北西部に駒札が立てられている。





~源氏物語の冷泉帝の住まい~

 紫式部『源氏物語』に登場する冷泉帝は、光源氏の父・桐壺帝の第十皇子として誕生したが・・・

 実は、光源氏桐壺帝の中宮・藤壺との子。

 鈴虫の巻では、冷泉院冷泉帝光源氏が対面・・・





~和泉式部と冷泉天皇の皇子~

 冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と第四皇子・敦道親王は和泉式部と恋人関係になっている。

 特に敦道親王は和泉式部を邸に住まわせ、正妃と離婚しているらしい。










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