紫式部「光る君へ」


桐壺帝
『源氏物語』の主人公・光源氏の父


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 桐壺帝(きりつぼてい)は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏の父。

 多くの妃の中から桐壺更衣を寵愛したため「桐壺帝」と呼ばれる。


 桐壺更衣光源氏(第二皇子)を産んだが・・・

 第一皇子(のちの朱雀帝)を産んだ弘徽殿女御をはじめとする他の妃たちの嫉妬や嫌がらせで、光源氏が3歳の時に心労により病死。

 桐壺帝は、政(まつりごと)にも手が付かないほどに悲しんでいたが・・・

 数年後、光源氏を親王とはせず臣籍降下させて、先帝の姫君で桐壺更衣に瓜二つの藤壺を女御として入内させた。

 そして、光源氏は左大臣の娘・葵の上と結婚するが、やがて藤壺が皇子を出産・・・

 ところが、皇子の父親は光源氏だった・・・


 桐壺帝は、光源氏が23歳の時に崩御するが、藤壺が産んだ皇子(のちの冷泉帝)が自分の子ではなかったと知っていたかは不明。



~桐壺更衣のモデルは藤原定子~

 桐壺更衣のモデルは、一条天皇の皇后・藤原定子といわれるが・・・

 とすると、桐壺帝のモデルは一条天皇、光源氏のモデルは第一皇子の敦康親王ということもあるのかもしれない。





楊貴妃観音
リンクボタン楊貴妃観音像
(泉涌寺)

 桐壺更衣は、桐壺帝の寵愛を受けすぎたため、弘徽殿女御らに国を亡ぼす楊貴妃に例えられた。

 泉涌寺楊貴妃観音像は、唐の皇帝玄宗が造立したもの。





京都御所
リンクボタン京都御所

 御所は、光源氏誕生の地。

 ただ、平安時代の御所は、京都御所の西方約2キロの所にあった。





平安宮
リンクボタン平安宮
(大内裏)
平安宮内裏跡
リンクボタン内裏跡


 平安宮は、平安京の宮城。

 内裏は、天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。

 朱雀帝紫宸殿で元服、光源氏清涼殿で元服。

 淑景舎には光源氏の母・桐壺更衣が居住。

 桐壺更衣亡き後、飛香舎には桐壺帝の後妻で光源氏の初恋の人・藤壺が居住した。



大極殿跡
リンクボタン大極殿跡
(朝堂院正殿)
平安宮豊楽院跡
リンクボタン豊楽殿跡
(豊楽院正殿)


 平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。

 大極殿は、朝堂院の正殿。

 豊楽殿は、豊楽院の正殿。

 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。



平安宮 内裏 紫宸殿跡
リンクボタン紫宸殿跡
(平安宮)
平安宮 内裏 清涼殿跡
リンクボタン清涼殿跡
(平安宮)


紫宸殿
リンクボタン紫宸殿
(京都御所)
清涼殿
リンクボタン清涼殿
(京都御所)



平安宮 内裏淑景舎(桐壺)跡
リンクボタン淑景舎跡


 桐壺更衣が住んだ淑景舎は、内裏の後宮七殿五舎の一つ。





六道珍皇寺
リンクボタン六道珍皇寺

 桐壺更衣の葬儀が行われた寺のモデルは六道珍皇寺らしい。





東鴻臚館址
リンクボタン東鴻臚館址

 鴻臚館​は、能登国の能登客院や越前国の松原客館に滞在していた渤海使を招いていた施設。

 桐壺帝は、幼い光源氏を鴻臚館に滞在していた高麗人に人相占いをさせ、臣籍降下させた。



気比の松原
リンクボタン気比の松原

(敦賀市)
気比神宮
リンクボタン気比神宮

(敦賀市)


 越前国の松原客館があった正確な場所は不明だが、気比の松原付近にあったのではないかといわれている。

 また、気比神宮が管理していたことから気比神宮付近にあったという説もある。

 松原客館は、渤海滅亡後に宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたといわれ、紫式部の父・藤原為時は、その交渉相手として越前国司に選ばれたとのだといわれる。










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