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凝花舎(ぎょうかしゃ)は、内裏の後宮七殿五舎の一つで、庭に梅の樹が植えてあったことから「梅壺」とも呼ばれる。 女御などが居住した他、清涼殿に近いことから、東宮御所や摂政・関白の詰め所にも使用された。 円融天皇の女御で一条天皇の母・藤原詮子(藤原兼家の娘)は凝花舎を賜っていた。 紫式部の『源氏物語』では、弘徽殿太后や秋好中宮が居所としている。 飛香舎(ひぎょうしゃ)も内裏の後宮七殿五舎の一つ。 庭に藤の樹が植えてあったことから「藤壺」とも呼ばれる。 清涼殿の北西に隣接していたことから中宮や有力な女御の局となり・・・ 一条天皇中宮・藤原彰子 (藤原道長の長女) 三条天皇中宮・藤原妍子 (道長の次女) 後一条天皇中宮・藤原威子 (道長の娘) 後冷泉天皇中宮・章子内親王 (威子の娘) などが賜った。 紫式部の『源氏物語』では、主人公の光源氏の初恋の人・藤壺中宮が居所としている。 飛香舎は京都御所に復元されている。 |
内裏後宮・七殿五舎 |
弘徽殿 承香殿 麗景殿 登華殿 貞観殿 宣耀殿 常寧殿 |
飛香舎(藤壺) 凝花舎(梅壺) 昭陽舎(梨壺) 淑景舎(桐壺) 襲芳舎(雷鳴壺) |
寛和の変は、986年( 寛和2年)、藤原兼家が三男・道兼を使って花山天皇を出家させた事件。 兼家の長男・道隆は、次男の道綱とともに清涼殿の三種の神器を凝花舎へ移し、懐仁親王(一条天皇)を即位させた。 |
花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~ 寛和の変の黒幕は…懐仁親王の母・藤原詮子か?厳久とは? 大鏡が伝える寛和の変~藤原道兼に騙された花山天皇~ |
平安宮は、平安京の宮城。 |
内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
平安宮(大内裏)の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
京都市上京区土屋町通出水下る西神明町 |
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