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京都:北野天満宮

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北野天満宮


 北野天満宮に祀られている菅原道真は、903年(延喜3年)、無罪の罪で太宰府に流され、同地で没した。

 道真の没後、都では「道真の祟り」だとする天変地異が相次ぎ、京に住んでいた少女・多治比文子(たじひのあやこ)や、近江国比良宮の神官の幼児には託宣があったという。

 947年(天暦元年)、多治比文子、近江国比良宮の神主・神良種、北野の朝日寺の僧最珍らが道真を祀る社を建てたのが北野天満宮の始まりとなる。

 987年(永延元年)には、一条天皇の勅使が派遣され、「北野天満宮天神」の神号が与えられた。

 北野天満宮は、太宰府天満宮、荏柄天神社とともに日本三天神に数えられる。


=祭神=

菅原道真

中将殿(道真の長子・高視)

吉祥女(道真の正室)


北野天満宮楼門
楼門





北野天満宮神牛
神牛

 境内の各所に置かれている数十体の牛の像。

 自分の悪い箇所を撫でると治るといわれ、頭を撫でると頭が良くなるといわれている。

 菅原道真が丑年生まれで、天神様の使いが牛であることに由縁しているという。 


北野天満宮中門
中門
(三光門(さんこうもん))

 1607年(慶長12年)、豊臣秀頼による造営(重要文化財)。

 掲げられている「天満宮」の額は後西天皇の宸筆。

 極彩色の彫刻の中に「太陽・月・星」が施されていることから「三光門」と呼ばれている。 


北野天満宮国宝建物
本殿、石の間、拝殿、楽の間
(合1棟)


 本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟として、国宝に指定されている。


北野天満宮灯籠
渡辺綱の燈籠

 源頼光の四天王の一人渡辺綱は、一条戻橋で若い女に会い、送ってくれるよう頼まれた。

 しばらくすると女は鬼となり、綱を捕らえて舞い上がり愛宕山へ連れ去ろうとするが、綱は北野天満宮の上空で鬼の腕を切り落とした。

 後日、綱は北野天満宮に感謝し、燈籠を寄進したのだという。


北野天満宮手向山の楓
手向山の楓樹

 898年(昌泰元年)、宇田天皇が東大寺の鎮守手向山八幡宮へ巡行した際に菅原道真も供奉し、「このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」と詠んだ。

 その史実に基づき、1716年(正徳6年)2月、手向山八幡宮より楓の苗木が奉納されている。


北野天満宮梅鉢紋
梅鉢紋

 「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

 太宰府へ左遷される際に菅原道真が詠んだ歌。

 この歌に詠まれた梅が道真を慕って一晩のうちに太宰府に飛来したという伝説も残されている。

 そのため北野天満宮の神紋は「梅鉢」。

 境内には1500本の梅の木が植えられている。 






〜源氏重代の太刀〜
「髭切」(ひげきり)


 「髭切」は源満仲が作らせた刀。

 のちに渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたという伝説の太刀。そして、1159年(平治元年)の平治の乱では源頼朝が帯びた名刀。

 北野天満宮所蔵の「髭切」が、その刀であるともいわれている(重要文化財)。


髭切と膝丸〜源家重代の太刀〜





歴史めぐり源頼朝



北野天満宮

北野天満宮

京都市上京区馬喰町

市バス「北野天満宮前」下車 徒歩5分






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