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羅城門は、かつて朱雀大路(平安京のメインストリート)の南端に建てられていた大門。 北端には朱雀門、朱雀門を入ると平安宮(大内裏)があった。 羅城門は、平安京の表玄関にあたる門で、9間5戸の重層門だったという。 東西には門を守護するための東寺と西寺(廃寺)が置かれ、この門が京の内外との境となっていた。 816年(弘仁7年)に大風により倒壊。 その後再建されたが、980年(天元3年)の暴風で再び倒壊し、以後は再建されなかった。 東寺の毘沙門堂に安置されていた「兜跋毘沙門天像」(現在は東寺宝物館に安置)や京都国立博物館に寄託されている「三彩鬼瓦」は羅城門にあったものと伝えられている。 |
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身代わり地蔵![]() |
平安宮の門![]() |
矢取地蔵は、東寺の弘法大師(空海)と西寺の守敏僧都の伝説が残された地蔵尊。 |
平安宮には、中央に朝堂院、その北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 |
2016年(平成28年)、JR京都駅前北口広場に羅城門の復元模型が置かれた。 |
939年(天慶2年)、東国で平将門の反乱を起こすと、羅城門の上層には都の守護神として兜跋毘沙門天が安置された。 東寺に伝えられている国宝の兜跋毘沙門天像がそれなのだとか・・・ |
940年(天慶3年)2月14日、平将門は藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された。 膏薬の辻子にある神田明神は、将門の首が晒された地の建てられた社。 |
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将門塚は平将門の首が葬られた地。 京都で晒された将門の首は、武蔵国豊嶋郡芝崎村まで飛んで行き、のちに神田明神に祀られたのだという。 |
芥川龍之介の『羅生門』は、平安時代に衰微していた「羅城門」の様子とともに、人間の利己主義を描いた小説。 『羅生門』という題名は、人間の「生」を意識して「羅城門」を「羅生門」としたのだと考えられている。 芥川は、荒廃した羅城門の上層の様子を・・・ 「その中には裸の屍骸と、服を着た屍骸とがあると云う事である。 勿論、中には女も男もまじっているらしい。 そうして、その屍骸は皆、それが、嘗(かつて)、生きていた人間だと云う事実さえ疑われる程、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた」 と描いている。 |
平安神宮は、1895年(明治28年)に、平安遷都1100年を記念して平安京の大内裏の正庁が8分の5の規模で復元されたもの。 |
京都市南区唐橋羅城門町花園児童公園内 JR京都駅八条口から徒歩20分 近鉄「近鉄東寺駅」下車徒歩15分 |
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