紫式部「光る君へ」


橘隆子
内裏の女房・左衛門の内侍


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 橘隆子は内裏の女房で、左衛門の内侍と呼ばれていた。

 『紫式部日記』によると・・・

 紫式部のことを良くなく思っていたらしく、多くの陰口を叩いていたのだという。

 一条天皇『源氏物語』を読み聞かされて

 「この作者は『日本紀』を呼んでいるに違いない、漢学の学識がある」

 と紫式部を評すると、左衛門の内侍は、

 「たいそう学識を鼻にかけている」

 と殿上人などに言いふらし、「日本紀の御局」というあだ名を付けたのだとか。 




紫きぶ七橋・河濯橋
リンクボタン中宮・彰子に新楽府を進講する紫式部(越前市・紫きぶ七橋)


 自らの才能を人前でひけらかすことだけはすまいと思っていた紫式部

 清少納言のように自己の才能を人前で発揮するような態度が最も嫌いだったらしい。

 そのため、左衛門の内侍に「日本紀の御局」というあだ名を付けられた後は無学を装おうするが・・・

 中宮・藤原彰子に白居易の新楽府(漢詩)を講義することとなる。










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