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桓武天皇が平安遷都を決めた地といわれ船岡山の麓・紫野には、『源氏物語』の作者・紫式部の墓がある。 紫野は紫式部が生まれ育った地といわれ、近くの雲林院は『源氏物語』第十帖の「賢木」に登場する。 大徳寺内にある真珠庵には「紫式部産湯の井戸」がある。 そして・・・ 晩年は雲林院百毫院に住んだのだという。 室町時代に成立した『源氏物語』の注釈書『河海抄』には、紫式部の墓所は雲林院白毫院の南と記されているらしい。 |
紫式部の没年と源氏物語〜准太上天皇となった光源氏と敦明親王〜 |
雲林院 |
真珠庵 |
雲林院と真珠庵は大徳寺の塔頭。 『源氏物語』〜賢木の巻〜では、藤壺に拒まれた傷心の光源氏が母の桐壺更衣の兄がいる雲林院に参籠している。 |
紫式部の時代、一条天皇は疫神を神輿に移して船岡山に安置し、悪疫退散を祈る「紫野御霊会」 を営んだ。 今宮神社は、「紫野御霊会」 を営んだことに始まる。 |
紫式部の墓の隣には、現世と冥界を行き来し、閻魔大王のもとで役人をしていたという小野篁の墓も。 何故、同じ場所にあるのか? 『源氏物語』は、平安時代の貴族社会の恋愛物語。 そのため紫式部は、世の風紀を乱したとして地獄に落とされたという噂があったのだという。 そこで人々は紫式部を地獄から救うため、閻魔大王と交流していたという小野篁の墓を紫式部の墓の横に移したのだとか。 |
源氏供養〜地獄に落とされた紫式部の供養〜 |
六道珍皇寺 |
千本ゑんま堂 |
京都三大葬送地の一つ鳥辺野の入口にあたる六道珍皇寺には、篁が冥界に通うための井戸が残されている。 同じく三大葬送地の一つ蓮台野の入口には篁のゑんま堂をはじまりとする千本ゑんま堂がある。 千本ゑんま堂には、紫式部の供養塔もある。 |
嵯峨薬師寺 |
小野篁神社 (大津市) |
小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあったという福正寺の井戸から帰ってきたのだという(生の六道)。 清凉寺の塔頭薬師寺には、福正寺にあった小野篁の作と伝えられる生六道地蔵菩薩や小野篁像などが安置されている。 小野篁神社は、篁を祀る社。 小野氏は近江国滋賀郡小野村を本拠とした豪族で、篁は小野妹子の子孫。 |
京都市北区紫野西御所田町 JR京都駅から市バス「北大路堀川」下車。 |
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