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天海の廟所・慈眼堂は、歴代天台座主の墓所でもある。 墓所には、桓武天皇の御骨塔・後陽成天皇供養塔・後水尾天皇供養塔・徳川家康供養塔・新田義貞供養塔・清少納言供養塔・紫式部供養塔・和泉式部供養塔や13体の阿弥陀石仏がある。 |
隣接する滋賀院は、天海が後陽成天皇から法勝寺の建物を下賜されて建立した寺。 |
滋賀院の名は後水尾天皇から賜った。 |
徳川家康の神号は「東照大権現」。 天海と「明神」を主張する金地院の崇伝との論争の末、天海の「権現」が採用されたのだという。 |
徳川家康は上野国新田荘を本拠した新田義重を先祖と称し、義重の三男義季は新田荘徳川郷を領して「徳川」を名乗ったことから徳川氏の祖といわれる。 伝承によると、新田荘の徳川氏九代目の親氏は、室町期の戦乱で新田荘を追われて三河国松平郷に辿り着き、戦国大名松平氏の祖になったのだという。 松平郷の松平東照宮は親氏創建の八幡宮が始まりとされ、高月院は松平氏の菩提寺となっている。 そして、天海は新田荘の長楽寺に住持したことがある。 新田義貞は新田氏本宗家の八代目棟梁。 家康は松平氏の九代目棟梁。 |
京都から逢坂の関を越えると近江国。 清少納言は「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」と詠んでいる(『百人一首』収録歌)。 |
清少納言の歌〜夜をこめて…藤原行成との贈答歌・逢坂の関〜 泉涌寺歌碑 |
紫式部は、娘時代に越前国へ下向。 琵琶湖の打出浜から湖西を渡って塩津浜に上陸している。 石山寺では『源氏物語』を書き始めた。 |
源氏供養〜地獄に落とされた紫式部の供養〜 |
和泉式部は恋愛関係にあった冷泉天皇の第四皇子・敦道親王と石山寺で和歌のやり取りをしていたのだとか。 |
高島市の鵜川四十八体石仏群のうちの十三体を移したもの。 |
滋賀県大津市坂本4−6−1 湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩20分 京阪石山坂本線「坂本比叡山口駅」から徒歩5分 |
延暦寺は天台宗の総本山。 |
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