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紫式部は、父藤原為時に同行して越前国へ下った頃、姉を亡くしている。 幼い頃に母を亡くしていた紫式部にとって姉の死は大きな影響を与えたらしい。 『紫式部集』には「筑紫へ行く人のむすめ」(筑紫の君)が登場する。 紫式部が姉を亡くした頃、筑紫の君は妹を亡くし、二人は互いに姉妹の代わりに思いあう約束をして手紙を書きあった。 紫式部は筑紫の君を「姉君」と呼び、筑紫の君は紫式部を「中の君」と呼んでいたのだという。 やがて、筑紫の君は、父に任官に伴い筑紫の肥前国へ旅立つことに。 筑紫の君が 「西の海を思ひやりつつ月見ればただに泣かるるころにもあるかな」(筑紫の海を思いながら月を見ていると泣けてくる) と贈ると、 紫式部は 「西へ行く月の便りにたまづさのかき絶えめやは雲のかよひぢ」(姉君が筑紫へ行っても手紙は絶やしません) と返している。 そして、今度は、紫式部が父藤原為時の任官に伴って越前国へ旅立つことに。 越前国に筑紫の君からの手紙が届き、紫式部がその返事に 「あひ見むと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ」(私が姉君に会いたいのは、鏡の神が見てくださっているでしょう) と贈ると 筑紫の君は 「行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰れをかけつつ祈るとか知る」(鏡の神にあなたを思って祈っています) と返している。 しかし・・・ 筑紫の君は紫式部と再会することなく肥前国で亡くなっている。 「いづかたの雲路と聞かば尋ねましつら離れたる雁が行方を」(姉君は雲に消えていった・・・) |
※ | 鏡の神は佐賀県唐津市の鏡神社。 |
紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された紫式部公園には、金色の紫式部像が置かれている。 |
玉鬘神社は、『源氏物語』に登場する玉鬘を祀る社。 玉鬘は幼い頃に母の夕顔を亡くし、筑紫で育った。 『源氏物語』には、筑紫の詳しい描写があるが、筑紫の君からの情報が元なのかもしれない。 |
筑紫の君は、平維将の娘と考えられている。 維将の屋敷は左京二条万里小路にあったのだという。 995年(正暦6年)、筑紫の国司に任じられて肥前国へ下向している。 維将は、藤原道長のもとで道長四天王と称された平維衡の兄。 また、源頼朝の鎌倉幕府草創に尽力した北条時政・義時父子、頼朝の妻北条政子の遠祖にあたる。 ![]() |
藤原定方 |
娘 (藤原雅正室) |
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