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源陟子(みなもとのただこ)は、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え、宮の宣旨と呼ばれていた女官。 醍醐天皇の孫・源伊陟の娘。 宣旨・御匣殿・内侍は女房三役といわれ、宣旨はその筆頭。 一条天皇の第三皇子・敦良親王(後朱雀天皇)の乳母だったともいわれるが定かではない(彰子の乳母だったという説もある。)。 教養が高く歌にも優れ、和泉式部が彰子に贈った歌に対する返歌を詠んだのだという。 また、紫式部に称えられるほどの美貌で、『紫式部日記』によると・・・ 小柄でほっそりとして、髪の毛筋は整って美しく、気品あがあったのだとか。 藤原公任の長男・定頼は陟子に言い寄って振られているらしい。 |
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