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檪谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)は、850年(嘉祥3年)、文徳天皇の皇后藤原明子の安産を祈って奈良の春日大社を櫟谷(いちいだに)に勧請したのが始まりとされている。 祭神は、高沙大神・春日大神・武甕槌命 他19柱。 |
賀茂斎院は、賀茂神社に奉仕した斎王の御所。 地名から紫野斎院とも呼ばれていた。 4月中の酉の日に催された賀茂祭(葵祭)では、斎王は斎院を出御して一条大宮で勅使の行列と合流、下鴨神社と上賀茂神社を参拝。 その日は上賀茂神社の神館(かんだち)に宿泊し、翌日は、再び行列をなして斎院に帰ったのだという。 賀茂斎院は、1212年(建暦2年)に第35代・礼子内親王が退下した後、承久の乱の混乱などもあって廃絶した。 |
![]() ![]() (上賀茂神社) |
![]() ![]() (下鴨神社) |
賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)を総称して賀茂神社という。 |
紫式部の『源氏物語』〜朝顔の巻〜に登場する朝顔の姫君は、賀茂神社に奉仕した斎王でした。 |
紫式部の『源氏物語』〜葵の巻〜では、光源氏が斎王の御禊の儀に同行している。 |
清少納言は『枕草子』に、斎王が上賀茂神社から紫野の斎院に帰る行列は、本当に素晴らしいと記している。 |
今宮神社の若宮社は斎王を祀る社。 今宮神社も賀茂斎院があった地とされるが、近年では檪谷七野神社周辺の一画が斎院跡と推定されている。 |
京都市上京区大宮通盧山寺上る西入社横町277番地 |
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