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『源氏物語』葵の巻〜葵の上と六条御息所の車争い〜

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牛車


 光源氏と正妻・葵の上の夫婦生活は冷淡なものでしたが・・・

 結婚10年目で葵の上が懐妊すると、源氏は・・・

 はじめて葵の上に愛おしさを感じます。

 そして、愛人の六条御息所の所へ行く足が遠のきます。





 そんな折の4月、

 源氏が賀茂祭で斎王の禊の儀式に同行することに。

 都中の女性たちが一条大路に集まり大混雑。

 妊娠中の葵の上も周囲に勧められて見物に出かけますが・・・

 源氏の姿を一目見ようとお忍びで出かけてきた六条御息所が良い場所に牛車を止めていました。

 お忍びのため目立たない牛車だったようです。

 そこへ葵の上の牛車が割り込み、従者たちの乱暴によって御息所の牛車が破損。

 葵の上と御息所が直接争ったわけではなく従者による争いでしたが・・・

 結果として、御息所は多くの見物者がいる中で恥をかかされてしまいます。


 その後、御息所は・・・

 嫉妬に狂い、生霊となって妊娠中の葵の上に取り憑きます。

 8月になって、葵の上は夕霧を出産しますが、数日後に急死。

 それを知った御息所は、我が身が生霊となって葵の上を取り殺した思い、都を去る決意をします。





野宮神社
リンクボタン野宮神社


 嵯峨の野宮神社は、伊勢神宮に仕える斎王(斎宮)が伊勢に赴く前に身を清めたという「野宮」の地に鎮座する社。

 『源氏物語』〜賢木の巻〜で、光源氏がお忍びで六条御息所を訪ねた所。

 葵の上の死後、御息所は斎宮となった娘とともに野宮で暮らし、源氏と別れを惜しんだ後、斎宮とともに伊勢へ下っていく・・・

 6年後、帝が変わり斎宮の任期が終わると京に戻り出家。

 その後、源氏に斎宮を託して病没。

 源氏は御息所に遺言に従い、斎宮には手を出さず、養女として冷泉帝に入内させます。



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〜賀茂神社の祭礼〜

葵祭
リンクボタン葵祭

 賀茂祭(葵祭)は、賀茂神社の祭礼。


上賀茂神社
リンクボタン賀茂別雷神社
(上賀茂神社)
下鴨神社
リンクボタン賀茂御祖神社
(下鴨神社)

 賀茂神社は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の総称。

 古くより朝廷から崇敬され、794年(延暦13年)の平安遷都後は山城国の一之宮となり、王城鎮護の神として一層崇敬され、802年(大同2年)には正一位の神階を受け、賀茂祭(葵祭)は勅祭とされました。

 石清水八幡宮の例祭(石清水祭)・春日大社の例祭(春日祭)と賀茂祭(葵祭)は三大勅祭です。



玉依媛命と賀茂別雷大神〜賀茂神社由来物語と葵祭〜





〜御禊の儀〜

 斎王が賀茂祭を主宰していた頃の御禊の儀は賀茂川で行われていたようですが、現在の斎王代の御禊は上賀茂神社下鴨神社で1年おきに交代で行われています。


上賀茂神社・橋殿
リンクボタン橋殿
(上賀茂神社)
下鴨神社井上社(御手洗社)
リンクボタン井上社
(下鴨神社)

 上賀茂神社の御禊の儀は橋殿の下を流れる御手洗川で、下鴨神社の御禊の儀は井上社前の御手洗川で行われます。





賀茂斎院跡
リンクボタン賀茂斎院
(檪谷七野神社)

 賀茂祭を主宰する斎王は、4月の酉の日、賀茂斎院(斎王の御所)を出御して一条大宮で勅使の行列と合流。

 下鴨神社上賀茂神社を参拝し、翌日に賀茂斎院に戻ったのだといいます。

 賀茂斎院は、紫野にあったことから紫野斎院とも呼ばれます。





埒が明く・・・埒が明かない・・・


 「埒が明く」「埒が明かない」という言葉は、上賀茂神社の競馬会から生まれた・・・



賀茂祭に供奉した大江広元

 『吾妻鏡』によると、鎌倉幕府政所の別当だった大江広元は、後白河法皇法住寺殿を修繕するため在京した時、賀茂祭に供奉したらしい。



四代将軍九条頼経 賀茂祭を見物する!

 『吾妻鏡』によると、鎌倉幕府四代将軍の九条頼経は、上洛した際、賀茂祭を見物したらしい。





下鴨神社の申餅
リンクボタン申餅
みたらし団子
リンクボタンみたらし団子


 かつての葵祭では、申の日に申餅を供え、無病息災を祈願したのだといいます。

 「みたらし団子」は、下鴨神社御手洗池の底から湧き出る水泡をかたどったのだといわれています。





〜賀茂祭の還さ、いとをかし〜

賀茂祭の還御の行列「いとをかし」


 清少納言は『枕草子』に、斎王が上賀茂神社から紫野の斎院に帰る行列は、本当に素晴らしいと記しています。









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