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西郷局(さいごうのつぼね)は、通称・お愛の方と呼ばれた徳川家康の側室。 父は、遠江国上西郷の住人・ 戸塚忠春。 母は、西郷氏(貞宗院)。 二代将軍となる徳川秀忠と清州城主となる松平忠吉の生母。 |
お愛の方は、西郷義勝の継室となって一男一女を産むが、義勝が戦死。 その後、家康に望まれ、叔父の西郷清員の養女として側室となり、浜松城で1579年(天正7年)に長松(秀忠)を、翌年に福松丸(忠吉)を産んだ。 1589年(天正17年)、駿府城で死去(享年38)。 |
駿府城で死去したお愛の方(西郷局)は、城下の龍泉寺に葬られた。 その後、西郷局に正一位が贈られ、戒名も「宝台院殿一品大夫人松誉定樹大禅定尼」とされたことから、龍泉寺は宝台院と呼ばれるようになったのだという。 |
秀忠が誕生した1579年(天正7年)、家康の嫡男・松平信康は、母の築山殿と武田氏に内通したいたとして、二俣城で切腹させらている。 次男の秀康は、1584年(天正12年)に豊臣秀吉の養子となり、後に結城氏を継いでいる。 そのため、秀忠が実質的な嫡男として扱われ、1605年(慶長10年)、伏見城で江戸幕府二代将軍を拝命している。 |
西郷局は、家康の信頼が厚く、家臣にも好かれていたというが・・・ 家康の正室・築山殿の侍女に毒殺されたという説がある。 |
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貞宗寺は、西郷局の母・貞宗院の隠居所に建てられた寺。 境内の御霊屋には貞宗院の墓といわれる宝篋印塔が安置されている。 |
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