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| 東京千代田区の半蔵門ミュージアムで常設展示されている大日如来坐像は運慶作と推定されているもの。 伝来は不詳だが、足利義兼が創建した樺崎寺(かばさきでら・足利市)に安置されていたもので義兼発願の像と考えられている。 義兼は、1189年(文治5年)、源頼朝の奥州征伐の戦勝祈願のため伊豆山神社に下野国足利の樺崎の地を寄進。 樺崎寺は伊豆山神社の理真朗安を開山として創建されたのだという。 明治の神仏分で廃寺となったが、大日如来像は下御堂にあったものと推定され、像を納める厨子には1193年(建久4年)の銘があったらしい。 |
| 半蔵門ミュージアム |
| 半蔵門ミュージアムは、真如苑所蔵の仏教美術品を展示する施設。 大日如来は、2008年(平成20年)3月、ニューヨクのクリスティーズ社のオークションに出品されたが、真如苑が三越に依頼して約12億5千万円で落札したもの。 東京都千代田区一番町25 東京メトロ半蔵門線 『半蔵門駅』下車 4番出口(地上1階)左すぐ 東京メトロ有楽町線 『麹町駅』下車 3番出口から徒歩5分 JR 『四ツ谷駅』下車 徒歩15分 |
| 東京国立博物館に収蔵されている大日如来坐像(光得寺所蔵)も運慶作と推定されている。 1199年(正治元年)に樺崎寺境内に創建された樺崎八幡宮に伝えられた像で、1868年(明治元年)、光得寺(こうとくじ・足利市)に移されたのだと伝えられている。 樺崎寺を創建した足利義兼は、1195年(建久6年)に東大寺で出家し、樺崎寺に隠棲。 1199年(正治元年)3月8日、同寺で死去。 大日如来坐像は、出家した義兼の発願で造立されたものと考えられ、義兼が出家した建久6年から死去した正治元年の間の造像と推定されている。 |
| 足利義兼 |
| 足利氏は、河内源氏の第三代棟梁源義家の四男・義国に始まる家系。 義兼は、足利宗家の二代目。 母は熱田神宮大宮司藤原範忠の娘(藤原季範の養女)。 源頼朝の母は藤原季範の娘由良御前であることから、頼朝と近い血縁関係にあった。 妻は北条時政の娘時子(政子の同母妹)。 晩年は樺崎寺で念仏三昧の日々を送り、生入定したと伝えられている。 |
| 浄妙寺は、義兼が父義康の菩提を弔うために創建し極楽寺を前身としている。 |
| 時政や義盛の寺にも運慶仏 |
| 運慶は鎌倉御家人と繫がりがあった仏師。 北条時政建立の願成就院や願成就院建立の浄楽寺には、運慶仏が残されている。 |
(伊豆の国市) |
![]() (横須賀市) |
| 願成就院と浄楽寺は、足利義兼の樺崎寺と同じく奥州征伐の戦勝祈願のために創建されたと伝えられている寺院。 |
| 願成就院大御堂の諸仏は、1186年(文治2年)に時政の発願によって造立されたことが確認されている。 |
| 浄楽寺収蔵庫の諸仏は、1189年(文治5年)に義盛の発願によって造立されたものであることが確認されている。 |
| 平泉を模した寺院建立 |
| 1189年(文治5年)の奥州征伐で源頼朝をはじめとする鎌倉御家人たちが見たものは平泉の華麗な寺院。 |
| 永福寺は、頼朝が平泉の中尊寺、毛越寺、無量光院などを模して創建した寺院。 北条時政の願成就院の伽藍も平泉の寺院を参考にしたもので、主に毛越寺を模した構成だったのだという。 足利義兼の樺崎寺の庭園も平泉の寺院を模したものだったのかもしれない。 |
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