鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉のアジサイ 鎌倉あじさい物語



修禅寺の指月殿

編集:yoritomo-japan.com








修禅寺指月殿


 指月殿(しげつでん)は、修禅寺門前を流れる桂川を越えた鹿山(塔の峰)の麓にある御堂。

 1203年(建仁3年)、北条氏によって修禅寺に幽閉され、翌年暗殺された鎌倉幕府二代将軍源頼家の母北条政子が、頼家の冥福を祈って建立したのだという。

 伊豆最古の木造建築とされ、釈迦如来坐像が安置されている。



比企能員の暗殺





修禅寺指月殿


 指月殿の額は、一山一寧(いっさんいちねい)によるもの。
 (※実物は、修禅寺本堂に置かれている。)

 一山一寧は、中国元から渡来した禅僧。

 九代執権北条貞時に元のスパイとして捕らえられ修禅寺に幽閉されるが、許されて鎌倉建長寺の十世となった。

 建長寺総門の額も一山の筆。 


修禅寺指月殿
蓮の花を持った釈迦如来坐像





〜指月殿に置かれていた仁王像〜

修禅寺指月殿
吽形
修禅寺指月殿
阿形


 仁王像は修禅寺の総門に置かれていたもので、総門がなくなってからは相殿に頼家を祀る横瀬八幡神社に移されていたが・・・

 老婆の夢枕に仁王像が現れて修禅寺に帰りたいと告げたので、頼家ゆかりの指月殿に移されたのだという。

 現在は2014年(平成26年)に改修工事が完了した山門に移されている。









〜頼家の冥福を祈った北条政子〜

源頼家の墓
リンクボタン源頼家の墓
浅草寺宝蔵門
リンクボタン浅草寺宝蔵門

 指月殿の横には、この地で非業の死を遂げた源頼家の墓と、頼家に仕えた十三士の墓がある。

 浅草の浅草寺宝蔵門には、北条政子頼家の追善供養のために中国から取り寄せて鶴岡八幡宮に奉納したという「元版一切経」が収蔵されている。



〜北条政子が納めた宋版放光般若経〜

 「宋版放光般若経」は、中国宋時代の一切経。

 北条政子は、源頼家の菩提を弔うために、数千巻にも及ぶ「宋版放光般若経」を納めたのだという。

 修禅寺に残されている巻ニ十三の巻末欄外には「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提 尼置之」の墨書があり、政子の直筆といわれている。


リンクボタン源頼家の般若心経〜三嶋大社〜

リンクボタン富士の人穴探検〜源頼家と仁田忠常〜

リンクボタン浅間大菩薩に祟られた?〜源頼家・仁田忠常〜





修禅寺虎渓橋
虎渓橋


 虎渓橋(こけいばし)は、修禅寺の門前を流れる桂川に架けられた橋。

 北条政子が指月殿を寄進した際に掛け替えが行なわれたのだという。

 『修禅寺物語』では、この橋の袂で源頼家の側女となった桂が「若狭局」という名を与えられる・・・

 若狭局は、比企能員の娘で比企能員の変で井戸に身を投じたという頼家の側室。



頼家の面
リンクボタン頼家の仮面
(死相の面)

 「頼家の仮面」は、源頼家が幽閉されていた修禅寺に伝えられるもの。

 岡本綺堂は、この面を拝観して『修禅寺物語』を描いたのだという。








歴史めぐり源頼朝




修禅寺
リンクボタン修禅寺

 「修善寺」という地名は、弘法大師によって開創された修禅寺をその由来としている。


静岡県伊豆市修善寺964

伊豆箱根鉄道駿豆線「修善寺駅」より
修善寺温泉行バス。
「修善寺温泉」下車



修禅寺歴史めぐりMAP
大きい地図を見るには・・・
右上のフルスクリーンをクリック。


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜
(伊豆の国市)

 伊豆・箱根

熱海の源頼朝伝説

伊東で源頼朝伝説

湯河原・真鶴の源頼朝伝説


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編









鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)



60年に一度の祭礼
円覚寺洪鐘祭
源頼朝も祀る!
日光東照宮


鎌倉のアジサイ 鎌倉あじさい物語


鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


徳川家康 紫式部