鎌倉手帳(寺社散策)

畠山重忠の乱
畠山氏の滅亡

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畠山重忠像
リンクボタン畠山重忠公史跡公園
(深谷市)

 畠山重忠は、1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵したときは、平家方の大庭景親に従っていたが、頼朝が安房に渡り、鎌倉を目指すとこれに従った。

 源平合戦でも活躍し、多くの伝説を残した武将。

 頼朝の死後、北条時政の謀略によって一族もろとも滅ぼされた。


菅谷館跡
リンクボタン菅谷館
(嵐山町:畠山館跡)


 北条時政は、1200年(正治2年)梶原景時を追放、1203年(建仁3年)比企能員を暗殺するなど、源頼朝以来の有力御家人を滅ぼしてきた。

 二代将軍頼家も時政によって暗殺された。

 その謀略は、畠山重忠にも及んだ。



〜坊門姫を迎えるための上洛〜
(2つの事件発生)

 1204年(元久元年)10月14日、、源実朝の妻となる坊門信清の息女を迎えるため、北条政範・畠山重保(重忠の嫡子)らが上洛。

 11月4日、京都守護の平賀朝雅邸で催された酒宴の席で、朝雅と重保が口論となるが、集まっていた者がなだめたことで、その場は収まっている。

 その翌日には、北条政範が死去。

 この2つの事件が畠山氏の滅亡へと繋がっていくこととなる。


 平賀氏は新羅三郎義光を祖とする源氏

 朝雅の父は義信は、平治の乱源義朝に従い、勝長寿院では源頼朝の命により義朝の埋葬を行っている。

 頼朝の信頼を得て、頼朝の死後も源氏の重鎮として存在していた。

 朝雅の妻は北条時政の娘(時政の後妻・牧の方の子)。

 北条政範は、北条時政と牧の方の子。

 一説には、時政の嫡子は義時ではなく政範だったのではないかとも言われている。



〜平賀朝雅と牧の方の讒訴〜

 その後、平賀朝雅は、牧の方を通じて北条時政に畠山重忠父子の謀叛を訴え、それを受けた時政は、1205年(元久2年)6月20日、子の義時らに畠山討伐の話をした。

 義時は「重忠がそのような企てをするはずがない」として、畠山討伐には反対していたというが、牧の方が義時邸に牧時親を遣わして「重忠謀反は明白である」と伝えたことにより、義時も考え直したのだという。



〜稲毛重成を利用した北条時政〜

 畠山討伐に当たって、北条時政が利用したのが、重忠の従兄弟の稲毛重成

 重成は、重忠に「鎌倉に騒動が起こった」と虚偽の報告をして鎌倉へおびき寄せている。







〜畠山重保の最期〜

 まず、襲われたのは、稲毛重成に呼ばれ、6月20日、鎌倉に到着していた畠山重保

 6月22日早朝、謀反人が由比ヶ浜に集結しているという虚偽の報告を受けた重保は、郎党3名を連れて由比ヶ浜に駆けつけるが、北条時政の命を受けた三浦義村によって討たれた。


畠山重保の墓
リンクボタン畠山重保墓
(鶴岡八幡宮一の鳥居横)


 その頃、畠山重忠は、稲毛重成の虚偽報告を受けて6月19日に菅谷館を出発し、鎌倉へと向う途中だった。

 重忠が鎌倉へ向かっているとの噂が流れると、重忠誅殺の命が下り、北条義時らが鎌倉を出発。

 重忠は、陣を布いていた鶴ヶ峰の麓で、嫡男の重保が殺され、討伐軍が攻めてきている事を知ったのだという。

 正午頃、武蔵国二俣川で討伐軍と畠山軍が激突。

 激戦が繰り広げられたが、重忠は愛甲三郎季隆の矢を受けて討死した。


畠山重忠終焉の地
リンクボタン畠山重忠終焉の地
(横浜市旭区)

 畠山重忠は、僅か150騎を従えていたのみで、家臣からは引き返すよう進言されたが、「潔く戦うことが武士の本懐」として討伐軍を迎え撃つことにしたのだという。


畠山重忠公首塚
リンクボタン畠山重忠公首塚
(横浜市旭区)

 畠山重忠を射た弓の名手愛甲三郎季隆は、1213年(建暦3年)に起こった和田合戦和田義盛に味方し、一族ともに滅んだ。







〜北条時政の追放〜

 畠山重忠軍を破った北条義時は、重忠軍がたった150騎余りだったことで、畠山謀叛が父時政の謀略であったことを確認。

 この事件の翌6月23日には、稲毛重成が討ち取られている。

 そして、閏7月19日、北条時政と牧の方による平賀朝雅を将軍に据えようとする企てが発覚し、時政らは伊豆に追放され、閏7月26日、京都にいた平賀朝雅は追討軍によって討たれた(牧の方の陰謀)。

 この一連の事件によって、北条義時が時政にかわって政所別当となり、執権の座に就いた。

 リンクボタン牧の方の陰謀


北条時政の墓
リンクボタン北条時政墓
(伊豆の国市)


 畠山重忠討伐の原因を作った稲毛重成が何故時政に従ったのかは不明。

 参考までに、重成時政の娘を妻としていた。

 また、源頼朝重成の妻の橋供養の際に落馬し、命を落としている(参考:旧相模川橋脚 源頼朝落馬の地)。


稲毛重成の墓
リンクボタン稲毛重成の墓
(川崎市)



〜鎌倉武士の鑑〜

国は武蔵の 畠山
武者と生まれて 描く虹
剛勇かおる 重忠に
いざ鎌倉の ときいたる

平家追い討つ 一の谷
愛馬三日月 背に負えば
そのやさしさに 馬も泣く
ひよどり越えの 逆落し

雪の吉野の 生き別れ
恋し義経 いまいづこ
静の舞の 哀れさに
なみだで打つや 銅拍子

頼み難きは 世の常か
誠一途が 謀反とは
うらみも深く 二俣に
もののふの意地 花と散る

仰ぐ秩父に 星移り
菅谷館は 苔むせど
坂東武者の かがみとぞ
おもかげ照らす 峯の月


一ノ谷古戦場
リンクボタン一ノ谷古戦場
静の舞
リンクボタン静の舞



 畠山重忠の乱によって、桓武平氏の名門畠山氏は滅亡するが、重忠の妻は北条時政の娘で、のちに足利義兼の子義純の妻となった。

 義純が畠山の名跡と旧領を継いでいる。

 これによって畠山氏は、源氏の家系となる。

 室町時代に足利将軍家の下で活躍する畠山氏はこの家系。


2022年のNHK大河ドラマは・・・
北条義時!

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