鎌倉手帳(寺社散策)

稲毛重成の墓
〜川崎市:広福寺〜


編集:yoritomo-japan.com







稲毛重成墓


 稲毛重成は、桓武平氏の血をひく秩父氏の一族。

 1180年(治承4年)の石橋山の戦いでは源頼朝に敵対したが、頼朝が安房(源頼朝上陸地)に渡り千葉常胤上総広常を従えて体勢を立て直すと、畠山重忠らととも参陣。

 北条時政の娘(北条政子の妹)を妻とし稲毛荘を領したが、1205年(元久2年)6月23日、畠山重忠の乱において「畠山謀叛」を言い立てたとして北条義時によって討たれた。

 ※写真は広福寺の稲毛重成墓(川崎市)





石橋山古戦場
リンクボタン石橋山古戦場
文三堂
リンクボタン文三堂
(石橋山古戦場)

 石橋山の戦いでは、佐奈田(真田)与一義忠の郎党陶山文三家康が稲毛重成に討たれている。



〜相模川の橋供養と源頼朝の死〜

 1195年(建久6年)、稲毛重成は東大寺大仏殿落慶供養に参列するため上洛した源頼朝に随行。

 その帰路、美濃国で妻の危篤を知らされた重成は、頼朝から下賜された駿馬で稲毛荘へもどるが、妻は7月4日に病死。

 妻を亡くした悲しみから重成は出家し、広福寺を氏寺としたのだという。 


旧相模川橋脚
リンクボタン旧相模川橋脚
(茅ヶ崎市)
源頼朝の墓
リンクボタン源頼朝墓
(鎌倉市)


 その後、重成は、亡き妻の供養のために相模川に橋を架け、1198年(建久9年)12月27日、頼朝が渡り初めを行った。

 頼朝はその帰路に落馬し、その怪我が原因で翌年正月13日に亡くなったと伝えられている。



源頼朝大軍を率いて鎌倉入り(okadoのブログ)

源頼朝の御家人・・・武蔵国の武将:稲毛重成(okadoのブログ)

妻の死と出家と橋供養と頼朝の死〜稲毛重成〜(okadoのブログ)






歴史めぐり源頼朝



広福寺
リンクボタン広福寺

 広福寺は真言宗の寺院。
 承和年間(834〜848年)に慈覚によって創建されたという。


川崎市多摩区枡形6−7−1

小田急線「向ヶ丘遊園」駅下車徒歩10分



鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)


八雲神社例大祭 建長寺開山忌
観蓮会 ぼんぼり祭
江の島灯籠 龍の口竹灯籠
四万六千日 黒地蔵縁日