鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉御家人
千 葉 氏


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 房総半島に拠点を置いた千葉氏は、平良文を祖とする坂東八平氏のうちの一つ。

 1180年(治承4年)、源頼朝は、石橋山の戦いで敗れ、安房(源頼朝上陸地)に逃れてくると、千葉常胤に使者を送っている。

 常胤は頼朝に従うことを決意し参陣した。


桓武天皇
第50代天皇

平高望

良文

忠常

千葉恒将

常兼

常重

常胤


坂東八平氏とは・・・

 良文から分かれた秩父氏、上総氏、千葉氏、中村氏、三浦氏鎌倉氏などの氏族。


亥鼻城
リンクボタン亥鼻城址
(千葉氏の本拠)






千葉常胤

 千葉常胤は、1180年(治承4年)、源頼朝石橋山の戦いで敗れ、安房(源頼朝上陸地)に渡るとこれに参陣。

 頼朝に鎌倉を本拠とすることを進言したのは常胤だといわれている。

 リンクボタン鎌倉入りを進言した千葉常胤


 その後、上総介広常(常胤の従兄弟)や畠山重忠なども参陣し、頼朝は鎌倉入りを果たした(1180年(治承4年)10月6日(7日という説もある。))。

 富士川の戦いで勝利後、平家を追って京を目指そうとする頼朝を止めたのが常胤であった。

 平家討伐(源平合戦)では源範頼に従って武功をあげ、奥州征伐では源氏の白旗二幅を献上している。 


蓮乗院
リンクボタン蓮乗院
鎌倉・弁谷
リンクボタン弁谷

 光明寺の支院蓮乗院の本尊は千葉常胤の守護仏。

 光明寺の北の弁ヶ谷は、常胤が屋敷を構えた場所といわれている。


〜源頼朝挙兵の平伝説〜

君待橋の碑
リンクボタン君待橋の碑
(千葉市)
お茶の水
リンクボタンお茶の水
(千葉市)


源頼朝大軍を率いて鎌倉入り(okadoのブログ)

東征軍の敗走・・・富士川の戦い(okadoのブログ)



相馬師胤

 千葉常胤の子。

 父とともに源頼朝に従い、平家討伐では源範頼に従った。

 奥州征伐で武功をあげ、頼朝から「八幡大菩薩」の旗を授けられた。


鎌倉・八坂大神
リンクボタン八坂大神
相馬師常墓
リンクボタン相馬次郎師常墓

 扇ガ谷の鎮守・八坂大神は相馬師常の勧請。



日 胤

 千葉常胤の子。

 園城寺の僧で源頼朝の祈祷師だった日胤は、伊豆流人の身だった頼朝から千日間の石清水八幡宮参籠を頼まれ、無言で般若心経を転読していたが、600日目の夜に金の兜を賜わる霊夢を見たのだという。

 ひそかに所願成就の証だと思っていると、翌朝、以仁王が挙兵して園城寺に入った。

 その後日胤は、以仁王に従って平家と戦い、1180年(治承4年)5月26日、光明山鳥居で討死。

 石清水八幡宮の千日参籠は、弟子の日恵が引き継ぎ、1181年(治承5年)5月8日、日胤の死とともに千日の参籠が完了したことを鎌倉の頼朝に報告している。



源頼朝挙兵

源頼朝鎌倉入り

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